そば》へ鼻を押しつけ、亭主に叱《しか》られた。やがて私達の後を廻って遠慮なくW君の膝に上った。「野郎」と復た亭主に叱られて炉辺に縮み、寒そうに火を眺めて目を細くした。
「私はこの猫という奴が大嫌《だいきら》いですが、本家でもって無理に貰ってくれッて、連れて来やした」
 と亭主は言って、色の黒い野鼠がこの小屋へ来ていたずらすることなど、山の中らしい話をして笑った。
「すこし煙《けむっ》たくなって来たナア。開けるか」とW君は起上って、細目に小屋の障子を開けた。しばらく屋外《そと》を眺めて立っていた。
「ああ好い月だ、冴《さ》え冴えとして」
 と言いながらこの同僚が座に戻る頃は、鍋から白い泡《あわ》を吹いて、湯気も立のぼった。
「さア、もういいよ」
「肉を入れて下さい」
「どれ入れるかナ。一寸待てよ、芋を見て――」
 亭主は貝匙《かいさじ》で芋を一つ掬《すく》った。それを鍋蓋の上に載せて、いくつかに割って見た。芋は肉を入れても可い程に煮えた。そこで新聞紙包が解かれ、竹の皮が開かれた。赤々とした牛《ぎゅう》の肉のすこし白い脂肪《あぶら》も混ったのを、亭主は箸で鍋の中に入れた。
「どうも甘《うま》そうな匂《にお》いがする。こんな御土産なら毎日でも頂きたい」と亭主がW君に言った。
 細君は戸棚《とだな》から、膳《ぜん》、茶碗《ちゃわん》、塗箸《ぬりばし》などを取出し、飯は直に釜から盛って出した。
「どうしやすか、この炉辺の方がめずらしくて好うごわしょう」
 と細君に言われて、私達は焚火を眺め眺め、夕飯を始めた。その時は余程空腹を感じていた。
「さア、肉も煮えやした」と細君は給仕しながら款待顔《もてなしがお》に言った。
「お竹さん、勘定して下さい、沢山頂きますから」とW君も心易い調子で、「うまい、この葱はうまい。熱《あつ》、熱。フウフウ」
「どうも寒い時は肉に限りますナア」と亭主は一緒にやった。
 三杯ほど肉の汁をかえて、私も盛んな食欲を満たした。私達二人は帯をゆるめるやら、洋服のズボンをゆるめるやらした。
「さア、おかえなすって――山へ来て御飯《おまんま》がまずいなんて仰《おっしゃ》る方はありませんよ」
 と細君が言ううち、つとW君の前にあった茶碗を引きたくった。W君はあわてて、奪い返そうとするように手を延ばしたが、間に合わなかった。細君はまた一ぱい飯を盛って勧めた。
 W君は
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