方から廊下を廻ってやって来た。
 大塚さんの親戚からと言って、春らしい到来物が着いた。青々とした笹《ささ》の葉の上には、まだ生きているような鰈《かれい》が幾尾《いくひき》かあった。それを見せに来た。婆さんは大きな皿を手に持ったまま、大塚さんの顔を眺《なが》めて、
「旦那様は御塩焼の方が宜《よろ》しゅう御座いますか。只今は誠に御魚の少い時ですから、この鰈はめずらしゅう御座いますよ。鰹《かつお》に鰆《さわら》なぞはまだ出たばかりで御座いますよ」
 こう言って主人の悦ぶ容子《ようす》を見ようとした。
 何かおせんの着物で残っているものはないか。こう大塚さんは何気なく婆さんに尋ねた。
 婆さんは不思議そうに、
「奥様の御召物で御座いますか。何一つ御残し遊ばした物は御座いません。何から何まで御生家《おさと》の方へ御送りしたんですもの……何物《なんに》も置かない方が好いなんと仰《おっしゃ》って……そりゃ、旦那様、御寝衣《おねまき》まで後で私が御洗濯しまして、御蒲団やなんかと一緒に御送りいたしました」
 と答えたが、やがて独語《ひとりごと》でも言うように、
「旦那様は今日はどう遊ばしたんですか……奥
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