を謝《ことわ》るというは、めずらしいことだった。

 書生が出て行った後、大塚さんはその部屋の内を歩いて、そこに箪笥《たんす》が置いてあった、ここに屏風《びょうぶ》が立て廻してあった、と思い浮べた。襖《ふすま》一つ隔てて直ぐその次にある納戸《なんど》へも行って見た。そこはおせんが鏡に向って髪をとかした小部屋だ。彼女の長い着物や肌《はだ》につけた襦袢なぞがよく掛っていたところだ。
 何か残っている物でも出て来るか、こう思って、大塚さんは戸棚の中までも開けて見た。
 そうだ、おせんは身に覚えが無いと言って泣いたりしたが、終《しまい》には観念したと見え、紅く泣|腫《はら》した顔を揚げて、生家《さと》の方へ帰れという夫の言葉に随《したが》った。そんな場合ですら、彼女は自分で自分の身のまわりの物をどう仕末して可いかも解らなかった。殆んど途方に暮れていた。夫の手伝いなしには、碌《ろく》に柳行李《やなぎごうり》一つ纏《まと》めることも出来なかった。見るに見兼ねて、大塚さんは彼女の風呂敷包までも包み直して遣った。車に乗るまでも見て遣った。まるで自分の娘でも送り出すように。それほど無邪気な人だった。
 
前へ 次へ
全24ページ中15ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング