かばかりの言葉を書きつけた。
「古大家の意匠になりし庭園を前にして、しばらく旅の時を送る。昭和二年、七月十九日記念。」
 かうして萬福寺を辭した。私達は寺の門前に近い新橋の畔に出て、そこの柳のかげに吉田行の自動車を待つた。益田川の河岸に藺草の並べて乾してあるのも眼についた。醫光寺境内の山の上から望んで來た領巾振山はその橋のほとりからも見えた。
 その時になると、又、私は日ごろの自分の考へ方を改めなければならないやうなものが、こゝにも一つあつたことを思つた。どうも雪舟の[#「雪舟の」は底本では「雲舟の」]藝術は親しみにくいと考へたやうな、その多年の疑問は、今度の旅で見事に覆へされた。やはり、來て見て動かされた。
 石見《いはみ》といふ名が示してゐるやうに、いはばこゝは石の國である。古い時代の岩石の崇拜は、この地方に限つたことでもなく、伊豆あたりの神社にもそれを見つけるといふが、益田にある天《あま》の石勝《いはかつ》神社といふやうな古祠そのものがすでに、この地方のことを語つてゐるやうにも見える。雪舟の藝術に感ずるやうな石の美は、東洋的ではあつても、必ずしもそれが支那的であるとはいひきれない
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