光寺と萬福寺とは雪舟の意匠になつた古い庭園で知られ、大喜庵はその終焉の地として知られてゐる。位置からいへば醫光寺と萬福寺とは益田の町にあり、大喜庵は益田に接近した吉田村の方にある。雪舟の遺蹟を探らうとするものは、先づ山陰線の益田驛で下車するのを便利とする。
中世紀の僧侶でもあり、名高い畫家でもあつた雪舟は出世修養期を周防《すはう》の雲谷庵《うんこくあん》に、明《みん》より歸朝後の活動期を豐後《ぶんご》(?)の天開樓に送つた後、石見に來てその最後の老熟期に達したといはれてゐる。この雪舟は、しばらく益田の萬福寺に留錫《るしやく》し、醫光寺に移り住み、吉田の大喜庵にその餘生を終つたらしい。あゝいふ昔の人が最後の栖家《すみか》を求めて石見地方の寺にそれを見つけたといふのは、その事がすでになつかしい。ましてそこは高津川《たかつがは》に近く、私達に取つて忘れることの出來ない萬葉の歌人柿本人麿の生涯に(その少年期にも、國守としての中年期にも、また晩年にも)縁故の深かつたところで、遠い萬葉の昔を忍ばせるやうな土地柄でもあるのだから。
かうした遺蹟も訪ねて見たく、山陰の西とはまたどんなところかと思つ
前へ
次へ
全110ページ中91ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング