雲地方を去るにつけても、米子の町を見落して來たことは殘念であつた。松江の太田君が勸めてくれた熊野神社まで行けなかつたことも、あの古代の出雲地方と離しては考へられないやうな素盞男命《すさのをのみこと》を記念する熊野村まで行けなかつたことも殘念であつた。
今市から西の海岸の眺めは、これまで私達が見て來た地方と大差がない。出雲浦ほどの變化はないまでもおほよそその延長と見ていゝ。次第に私達は海岸に向いた方の汽車の窓を離れて、山の見える窓の方に腰掛けるやうになつた。大田[#「大田」は底本では「太田」]、江津、濱田、私達は山陰西部にある町々を行く先で窓の外に迎へたり送つたりした。やがて五時間ばかりもかゝつて、石見の益田まで乘つて行つた。
十四 雪舟の遺蹟
旅の鞄に入れて來た案内記は、山陰線全通以前のもので、山陰線の西部のことはあまり出てゐない。石見にある雪舟の遺蹟も傳へてない。左にしるす三つの寺は、いずれも雪舟の晩年に縁故の深かつたところである。
[#ここから2字下げ]
醫光寺《いくわうじ》。
萬福寺《まんぷくじ》。
大喜庵《だいきあん》。
[#ここで字下げ終わり]
このうち、醫
前へ
次へ
全110ページ中90ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング