は父大國主の神の和魂《にぎたま》をうけつぎ、建御名方の神は同じ父神の荒魂《あらたま》をうけついだといはれてゐる。當時の出雲民族は古代文化の中堅の一つであつて、その勢力は南は紀伊に及び、中央から北は越後信濃にまで及んでゐたといふくらゐだ。剛健勇邁な建御名方の神が亡命の心事は今からでもそれを想像するに難くない。それに比べると、大國主の神はどこまでも平和の神であり、當時の平和論者なる事代主の神の意見を容《い》れて、國讓りの難局に處せられたのであらう。退いて民に稼穡《かしよく》の道を教へたといはれる神が、高くも遠くも見たであらうことは、それもまた想像するに難くないやうな氣がする。私はよく信濃の方へ旅して、諏訪湖のほとりを通る度にあの建御名方の神を祭るといふ古い神社の境内を訪れたこともあるが、鬱然として氣象の近づき難さが身に迫るのを覺えた。今、この出雲大社に來て見ると、こゝにはそれほど深く沈んだものはない。こゝに祭られてある大國主の神は昔ながらの笑顏をもつて、多くの參詣者の頭を子供のやうに撫で、お伽話でもして聞かせてゐるやうに見える。海岸に近い神社の境内には、松の枝が汐風に吹きたわめられ、あたり
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