分の記憶をたどると、俗にいふ大黒さまとお夷《えびす》さまとが私の生れた木曾の山家などにも飾つてあつたのを覺えてゐる。幼い時分の私の眼には、俵をふまへた大黒さまと釣竿をかついだお夷さまの姿が映るのみで、その俵が何を意味し、その釣竿が何を意味するかをも知らなかつた。あの大國主の神が農業の祖神であり、事代主《ことしろぬし》の神が漁業の祖神であることが分つて見ると、俵をふまへ釣竿をかついだ、父子二神の姿も讀めて來る。私はこの出雲地方を旅して見て、豐かな頬と、廣い眉間と、濃い眉とを行く先に見つけた。あの夷大黒としてよくある彫刻などに見る神の顏の特徴は、やがてそれが純粹な出雲民族[#「民族」は底本では「民旅」]の特徴であることを知つた。
「笑」をあらはした神像といふやうなものが他にもあるかどうか、私はよく知らない。すくなくも大黒さまとお夷さまとにはそれがあらはしてある。何といふ平易で通俗な神像だらう。何といふ親しみ易い笑顏だらう。人も知るごとく、信濃にある諏訪神社の祭神|建御名方《たけみなかた》の神は、事代主の神と共に、大國主の神の子であつて、國讓りの當時信濃の方に亡命せられたのである。事代主の神
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