んでゐた。私達はその朝の空氣の中で、時々びつくりするやうな魚の飛ぶ音をも聞きつけた。その邊の藻の多いところには、流れるまゝに舟を任せて置いて、鰻でも引き揚げて行くらしい漁夫もあつた。
二人の客が訪ねて來た。
古川君、太田君、二人とも私には初對面の客である。古川君のことは大阪で聞いて、紹介の名刺まで貰つて持つて來てある。私はこちらから訪ねないうちに、同君を自分等の宿に迎へることが出來た。同道の太田君は松江商業會議所書記長の肩書はありながら、俳人としては柿葉といつて、故大須賀乙字氏なぞに親しい交際があつたと聞くもなつかしい。私達は行く先で好い案内者を得たばかりでなく、今また二人までも出雲地方のことに詳しい人達に逢つて、全く土地不案内な自分等の手引と頼むことの出來たのはうれしかつた。
「山陰道の樂しいのはいつでせう。夏でせうか。それとも、冬でせうか。」
私は信濃の山の上に、七年も暮したことのある自分の經驗から押して、普通なら夏の旅を樂しいといはれてゐるあの地方に、住んで見ると長い冬期の味の深かつたことを思ひ出して、そんなことを太田君に尋ねて見た。
「やつぱり冬でせうな。夏の山陰には優
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