くりや》の驛まで乘つて行つた。そこまでゆくと、大山の溪谷までもかすかにあらはれて來た。それが雨後によく見る濃い桔梗色であるのも美しい。更に名和の驛まで乘つて行つた。私達は歴史に名高い船上山《せんじやうさん》を望んだ。海岸に寄つた方に山角のとがつたのがそれだつた。米子《よなご》の一つ手前には、伯耆大山といふ名の驛もある。その時になると、高く望まれる赤い山のがけから、樹木のない谷間まで、私達の旅の心がどうその傾斜をほしいまゝに馳せ囘らうと自由だつた。私達は、午後の五時半ごろの日が山腹に青く光るのを見て、米子の驛まで乘つていつた。
「最早、出雲だ」
思はず私は周圍を見※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]した。遠い古代の人の想像がその時私の胸に浮んだ。これから私が訪ねようとする出雲地方とは、いはゆる夜見《よみ》の國である。そしてその夜見の國とは、古代の人の想像した死の國である。どうして出雲地方が死の國であるのか。それは神話と現實との混淆であるのか。我國の最初の母なる神、造物神、その伊邪那美《いざなみ》の神の永遠に眠れる墳墓の地とは伯耆と出雲の國境にあるといひ傳へられるところから、さうい
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