息に汽車で松江まで延びることにした。そこで、三朝を發つた。
 私と鷄二とが上井《あげゐ》の停車場まで元來た道を引返して、そこまで見送つてくれた神田君に別れたのは、午後の四時頃であつた。私達はまた親子二人きりで松江行の汽車の一隅に腰かけ、山陰線らしい車中の人達の風俗を眺め、眼にいるものすべて始めてでないものはないやうな海岸の方へ出て行くといふ樂しみをもつた。名高い伯耆《はうき》の大山《だいせん》の姿も次第に車窓から望まれるやうになつた。あの信濃路あたりに見るやうな高峻な山岳は望まれないまでも、幾つかの峯の頂きを並べたやうな連山の輪廓はかなり長く延びてゐて、たしかにこの地方の單調を破つてゐた。これが汽車でなしに、歩きながらの旅であつたら。私はそのことを胸に描いて見て、大山に添ひながらのこの海岸の旅もさぞ樂しからうと思った。
 下市《しもいち》の驛まで乘つて行つたころは、遠く望んで見る大山でなしに、山の麓までも見得るやうになつた。雲の蒸す日で、山の頂きは隱れて見えなかつた。それが反《かへ》つて山の容《すがた》を一層大きく見せた。ある雲はその中腹に、ある雲はその頂きの方に走つてゐた。御來屋《み
前へ 次へ
全110ページ中51ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング