ふ想像が生れて來たのか。いづれとも私にはいふことが出來ない。兎もあれ、旅の私達が出て行つたところは、暗い黄泉《よみ》の國どころか、むしろその反對に、ちよつと他に見られないほどやはらかく明るい感じのする地方であつた。俗謠で知らないもののない安來《やすき》とはこゝか、さう思つてその驛を通り過ぎて行くと、山陰らしい赤い土の色が、城崎や香住あたりで見て來たよりも更に濃い。崖も赤く、傾斜も赤い。赤い桑畑もめづらしい。夕日は海の方にかゞやいて、何となく水郷に入るの感もあつた。それもそのはずである。私達が出て行つた岸は、夜見が濱とは反對の側にある廣い入江に添うたところであつたから。陸には稻田も多かつた。畑にはすでに青い葡萄を見、長く延びた唐玉黍《たうもろこし》の穗をも見た。揖屋《いや》の驛を過ぎた。小蒸汽船、帆船、小舟などを汽車の窓から望むことの出來るやうな光景がひらけた。私達は七時近い頃まで乘つて行つて、宍道湖の水に映る岸の家々の燈火がちら/\望まれる頃に、松江に入つた。

 鳥取の方で聞いて來たところによると、東京から大阪まで百五十里、大阪から鳥取まで五十里、鳥取から米子へ二十五里、それより松江
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