。土地不案内な私達は、ゆく先で讀みにくい地名に逢つた。石生と書いて、(いさふ)と讀ましてあるのも、むづかしい。その邊は生活に骨の折れさうな山村でもある。私達はやせた桑の畠などを見て通り過ぎた。黒井といふ驛あたりから、福知山《ふくちやま》迄は殆んど單調な山の上の旅で、長く續いた道を歩いて見たら、かなり退屈するだらうと思はれるところだ。もう一里來た、もう二里來たといつた時分の昔の人の徒歩や馬上の旅も思ひやられる。

 京都から福知山を經て城崎《きのさき》の間を往來した昔は、男の脚で四日、女の脚ならば五日路といつたものであると聞く、大阪からするものは更にそれ以上に日數を費したであらう。私達の乘つてゆく汽車が遠く山陰道方面の海岸へ向けてかなりの高地を越えつゝあることは、山から切り出す材木や炭の俵などが鄙びた停車場の構内に積み重ねてあるのを見ただけでも、それを知ることが出來る。おそらくあの上方邊の人達が「しんど、しんど」といひながら山また山を越したらう昔を思ふと、一息に暗い穴の中を通り過ぎてゆく今日の汽車旅は比較にもなるまいが、それでも私達はかなり暑苦しい思ひで幾つかのトンネルを迎へたり送つたり
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