の他に送つてゐる同君が、親としての心づかひも一通りでないといふ話も出た。
「何といつても、親の力のおよぶのは十臺までですね。人の一生は幼年期、少年期で決するやうなものですね。」
 私は栗村君とこんなことを語り合つた。
 いつの間にか鷄二は見えなかつた。水泳好きな彼は人氣のない海水浴場の方へ駈けだして行つたが、やゝしばらくして海から引返して來た。
「まだ水の中は冷たいね。」
 と私にいつて見せた。
 思はず私達は時を送つた。鳥取まで同行しようといつてくれる岡田君にうながされて、やがて浦富を辭したのは午後の四時近い頃であつた。夕立でも來さうな空模樣で、ひどく蒸暑い空氣の中をまた私達は山陰線の汽車に搖られて行つた。その晩は鳥取の小錢屋《こぜにや》といふ宿に泊る。

    六 鳥取の二日

「茄子に、ごんぼは、いらんかな。」
 私達はこんな物賣りの聲の聞えるやうな、古風な宿屋の二階に來てゐた。この山陰の旅に來て見て、一圓均一の自動車が行く先に私達を待つてるにはまづ驚かされる。あれの流行して來たのは東京あたりでもまだ昨日のことのやうにしか思はれないのに、今日はもうこんな勢で山陰地方にまでゆきわ
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