る、こゝに紫もあると私にいつて見せたが、洞門から射し入る日の光はその邊りに附着する色さま/″\な藻《も》を美しく見せたばかりでなく、水の中に潛む魚の形までもあり/\と照らして見せた。
 太古からでも變らずにあるやうな靜かさが、この洞窟の奧を支配してゐた。その時になると、私は自分の側に鷄二のゐることも忘れ、同行の栗村君、岡田君、それから二人の大學生のゐることも忘れ、その兩岸の狹い奧のところで舟をあやつることに心を碎くやうな船頭のゐることも忘れ、全く自然と二人きりであるやうな心地にかへつた。
 暗い岩壁の間を通して見ると、青く澄んだ海水は神祕に光つて美しい。しかし、何となく私はこんなところに長くゐられないやうな氣もして來た。早く逃げて歸りたいとさへ思つた。

 私達は神祕な海から上つて、現實の濱邊に歸つた。その日はちやうど附近の小學校の先生達の懇親會もあつて、私達の船が西海岸を※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]る時にはそれらの人達をも一緒に載せて行つたが、中途ですこし風が出て來たのと、船醉するものもあつたのとで、元來た濱邊をさして歸りを急いだのである。
 觀潮樓はこの海濱に臨んだ位
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