別に一艘の小舟が追つて來たがそれは栗村君の計らひと知れた。やがて小舟は親船の側に繋がれた。私達はその方に移つて、小舟に搖られながら洞窟の前に近づいた。そこは太い石柱を中央にした扉の無い門に似てゐる。何ほどの深さがその奧にあるとは、誰もいふことは出來ないが舟の行けるところまでは、およそ百五十間としてあるといふ。二つの洞門の入口には海水が通じてゐて、その一方から船頭が舟を進めようとした。
「雫だ。雫だ。」
 といふ聲が船の中に起つた。見あげるやうに高い岩の上には青草が生茂つてゐてそこから清水が滴り落ちた。濡れないやうにと首をちゞめたものも、皆、入口のところでひやりとさせられた。
 同行の岡田君がいふ「秋のやうな涼しさ」はひし/\と私の身にも迫つて來た。その空氣の感じだけでも、私達の氣分を變へさせるに十分だつた。暗い洞窟の内部は岩燕の巣食ふところとかで、無數の翼が兩岸の岩をかすめて飛んだ。
「こんなところがあらうとは、ちよつと思はれないナ。」
「さうだね。一人ではちよつとこゝへ來る氣がしないね。」
 私と鷄二とは顏を見合せたくらゐだ。鷄二は美術書生らしく岩壁の色なぞに眼をとめて、そこに白もあ
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