を待つた。岩井まで行かうとするには、更に岩美で汽車を降りたところから、二十分ばかりも自動車の便によらねばならない。夏のさかりで日の長い頃だ。ちやうどその汽車を待つてゐると、以前に東京の方で一度逢つたことのある奧田君が私の側へきてあいさつするのに驚かされた。私も奧田君の顏を忘れずにゐた。同君はある醫學專門學校を出た人だが、まだその學校時代に自作の短篇を抱へて私の飯倉の住居へ見えたのは、あれはもう何年前のことか。思ひがけないところで舊知の人に逢つた。聞いて見ると、香住は同君の郷里で、今では小兒科、婦人科の醫者として多くの患者に接しつゝあるといふ。
「かうして田舍に開業してゐますと、いつまたお目にかゝれることやら。かういふ機會は、私にはめつたに來ません。さう思つたものですから、けふはあなたを探しに來ました。」
さういふ奧田君は、しばらく創作の筆もとらないと言つて、汽車の出るまで私の側に立ちつくして、醫專時代の昔をなつかしさうにしてゐた。
城崎の油とうやの若主人はその日一日私達の好い案内者であつた。岩井まで一緒に、とこの人が言つてくれるのを強ひて私達も辭退しかねた。こゝまで案内して來たもの
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