降りて來た石段、それから石垣の前の果樹や野菜の畑の見えるところで、やゝしばらく自動車のくるのを待つた。そこいらには村の子供達が集まつて來て、私達の周圍で遊び戲れてゐた。
「御覽。あの應擧の描いた子供は、何となくこの邊の子供に似てるぢやないか。」
 といつて私は鷄二を笑はせた。濃い眉、廣い眉間《みけん》、やゝあがり氣味の眼尻、それから豐かな頬――私がそこいらに近く見つける小娘などの面ざしは、やがてあの芭蕉の間で、應擧の畫に見つけたと似通ふもののやうでもある。これは藝術が私達の上に働きかける力か。私は應擧の眼を通して、いつの間にかその邊に遊んでゐる村の子供までも見ようとするやうになつたのか。あのイタリーを旅するものには、ゆく先にラフアエルのマドンナを見つけるといふやうに、ちやうど私はそれに似たものであつたかも知れない。いづれにしても、私は應擧の作品と、彼に縁故の深かつたといふこの邊りの環境とを結びつけて、何となくその關係を讀み得たやうに思つた。同行の伊藤君は、この邊の海岸に多い岩や松が應擧の筆そのまゝであることを私に話しきかせてくれたが、この人の眼もまた、應擧が見たやうにしかこのあたりの自
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