、簡素ではあるが、かなり大きい。私達は佛殿を前にして孔雀の間に行つて、應擧の畫の前に立つて見た。そこは二十五疊からの大廣間で、十六枚の襖が一つの大きな構圖のもとにまとめてある。黒と金との強い調和だ。寺の一隅にあたる芭蕉の間へも行つて立つて見た。十二疊半の部屋で、八枚の襖に郭子儀《くわくしぎ》のやうな支那風の人物と、芭蕉のもとに嬉戲する子供等のさまとが描いてある。そこには緑と金との柔かな調和が見られるばかりでなく、何となくひろ/″\とした藝術家の心までが感じられる。その隣にはまた二十五疊半といふ一番廣い部屋があつて、應擧の山水の圖の前へも行つて立つて見た。その部屋の片隅によせて、ふくろだなが造りつけてあつて、枇杷、葡萄などの靜物を描いた四枚の小襖も私達の心をひいた。昔の藝術家はいかによく自然を見たことか、あの鯉の圖などで應擧の寫生といふものを單純に想像してゐた私は、その日頃の考へ方を改めなければならないやうに思つた。
好いものを見た。その樂しい旅の心持で大乘寺を辭した頃は、約束しておいた自動車が容易にやつて來なかつた。私達は寺の前にあつた煙草屋の縁臺をかりて、自分等のくゞつて來た山門、
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