然を見ることが出來なくなつたのかも知れない。話し好きな伊藤君に比べると、同君の連れはまた正反對な沈默家だつた。その人は私達と一緒に香住の停車場を乘つてくる時から、自動車で別れるまで、ほとんど默りつゞけてゐた。
四 山陰道の夏
東海道あたりの海岸に比べると、この山陰道はおもしろい對照を見せてゐる。こゝには全く正反對のものを見出す。一方に遠淺な砂濱があれば、こゝには切り立つたやうな岩壁がある。一方に高い土用波の立つ頃は、こゝには海の凪《なぎ》の頃である。一方に自然の活動してゐる時は、こゝには自然の休息してゐる季節である。
偶然にも、私達はその自然の休息してゐる夏の季節を選んで、山陰道の海岸に多い「もち」の樹の葉蔭を樂しみに來たわけだ。土の色の赤いといふことが、全體の基調を成してゐるといつてもいゝほどで、ゆく先の漁村の屋根にすら山陰名物の赤瓦が見られるのもこゝだ。夏の誇りを見せたやうな柘榴《ざくろ》や、ほのかな合歡《ねむ》の木の花なぞがさいてゐて、旅するものの心をそゝるのもこゝだ。岩には燕が飛びかひ、崖には松の林が生ひ茂つてゐて、その深いところには今でもまだ鹿が住んでゐるとい
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