陽花《あじさゐ》がそのあたりにさき亂れてゐて、茶屋へゆくまでの小路も樂しかつた。
海も凪《なぎ》だ。山陰道へ來て始めて私達が日本海を望んで見たのも、その日和山からである。茶屋の樓上からは近くに後《うしろ》が島、かなたに鏡が崎も望まれて、際涯《はてし》もなく續いてゐるやうな大海と、青く光る潮の筋とを遠く見渡すことも出來た。そこまでたどり着くと、海風が吹き入つてすゞしい。うつかりすると私達の夏帽子までが風にとばされるくらゐだ。私達はそこで味はふ茶に途中の暑苦しさも忘れて、およそ二時間ばかりも海のよく見えるところに時を送つた。
三 大乘寺を訪ふ
香住《かすみ》の大乘寺は俗に應擧寺といつて、山陰方面では圓山應擧の畫で知られてゐる。
私が鷄二を伴つてこの寺を訪ねようとしたのは、瀬戸の日和山に登つて海を望んだ日の午後であつた。晝飯後に、私達は城崎を辭し、土地の人達に別れを告げようとした。油《ゆ》とうやの若主人は、香住まで案内しようといつてくれるので、この暑さに氣の毒とは思つたが、その言葉に從つた。そこで、三人して香住に向つた。城崎から香住までは里數にしても僅かしかない。汽車で四十
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