者をも得た。私達は玄武洞や温泉寺を省いて瀬戸、日和《ひより》山の方面を探ることにした。城崎へ着いた翌朝は空もよく晴れた。秦君、稻垣君、それから油とうやの若主人などが、この私達を案内してくれることになつた。町はづれまで行つて、豐岡川の岸へ出た。發動機を具へつけた一さうの船が、そこに五人のものを待つてゐた。

 城崎附近を流れる豐岡川は、圓山川ともいふ。案内記によると、この川の上流は圓山川、下流は豐岡川としてあつて、地圖にもそのやうに出てゐるが、土地の人達はやはり下流までも、圓山川と呼んでゐるのは、その名に親しみを覺えるからであらう。河口から入つてくる海の潮は、その邊から豐岡あたりまでもさかのぼるといふ。私達が岸に添うて出て行つた時は、眞水と潮水のまじる湖水の上にでも舟を浮べた心地もした。朝から暑い日で、私達は舟の日よけのかげに寄り添ひながら乘つて行つた。七月の日の光は水の上にも、蘆《あし》の茂る河の中洲にも滿ち溢れてゐて、涼しいものと暑いものとが私達の目にまじり合つた。舟から近く見て行く青い蘆の感じも深い。私は鷄二の方を見て言つた。
「これはいゝところだ。父さんはかういふところが好きさ。
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