「僕も好きだ。」
 と鷄二も言つてゐた。これが發動機でなしに、ゆつくりこいで行く艪であつたら。
「ほんたうの河の味は、どうしたつて艪でなければ出ませんね。」
 と私達に言つて見せる油とうやの若主人の言葉もうなづかれた。水明樓の跡といふは、城崎から三四町のところにあつた。徳川時代の儒者、柴野栗山《しばのりつざん》が河に臨んだ小亭の位置を好んで、その邊の自然を樂しんだ跡と聞く。今は鐵道工事のために取り拂はれて、漢詩を刻した二つの古い石碑まで半ば土に埋められたまゝになつてゐるのも惜しい。私達はその岸に殘つた記念の老松を見て通り過ぎた。中洲について一囘りすると、さながら私達は石濤《せきたう》和尚が山水畫册中の人でもある。私はまた葦船に乘せて流し捨てられたといふ水蛭子《みづひるこ》の神話を自分の胸に浮べて、あの最初の創造といひ傳られたことを、かうした水草のかげに想像したいやうにも思つた。
 海のものも河のものも釣れるといふやうな河口の光景は、徐徐と私達の眼の前にひらけた。波をきざんで進んで行く發動機の音もさほど苦にならない。私達は船の上にゐながら、そこに青い崖がある、こゝに古い神社がある、と
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