麿に行かうとするには、萬葉集を開いて見るに越したことはない。萬葉集こそ人麿の遺蹟である。同じ石見にある昔の人の跡とは言つても、畫僧としての雪舟と、歌人としての人麿とでは、遺したものが違ふ。したがつて訪ねて行く私達の氣持も、おのづから異なるわけである。私達はあの萬葉集の中に出てゐる石川(即ち高津川)を眺望の好い位置から望んで見たらばと思ひ、人麿終焉の地として古歌にも殘つてゐる鴨山が今でも變らずにあるかと思つて、それを見て行くといふだけでも、滿足しようとした。
千二三百年の長い年月が、全くこの邊の地勢を變へたといふはありさうなことだ。私達は既に益田の方で萬壽年中の大海嘯《おほつなみ》のことを聞き、あの萬福寺の前身にあたるといふ天台宗の巨刹安福寺すら、堂宇のすべてが流失したことを聞いて來た。益田から見ると、一里も海岸の方へ寄つて、高津川の河口に近いこの地方が、どんな大きな災害を受けたかは想像するに難くない。内濱外濱の數千の民家は皆跡かたもなくなつて、廣い入海も砂土に埋沒し、地形は全く變つてしまつたといはれてゐる。高角山にある柿本神社の境内は人麿が墳墓の地ではないまでも、古くからその靈が祭ら
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