やみを出《い》でては光ある
空とならばやあけぼのの
       空とならばや

春の光を彩《いろど》れる
水とならばやあけぼのの
       水とならばや

鳩《はと》に履《ふ》まれてやはらかき
草とならばやあけぼのの
       草とならばや

   三 春は来ぬ

春はきぬ
  春はきぬ
初音《はつね》やさしきうぐひすよ
こぞに別離《わかれ》を告げよかし
谷間に残る白雪よ
葬りかくせ去歳《こぞ》の冬

春はきぬ
  春はきぬ
さみしくさむくことばなく
まづしくくらくひかりなく
みにくゝおもくちからなく
かなしき冬よ行きねかし

春はきぬ
  春はきぬ
浅みどりなる新草《にひぐさ》よ
とほき野面《のもせ》を画《ゑが》けかし
さきては紅《あか》き春花《はるばな》よ
樹々《きぎ》の梢《こずゑ》を染めよかし

春はきぬ
  春はきぬ
霞《かすみ》よ雲よ動《ゆる》ぎいで
氷れる空をあたゝめよ
花の香《か》おくる春風よ
眠れる山を吹きさませ

春はきぬ
  春はきぬ
春をよせくる朝汐《あさじほ》よ
蘆《あし》の枯葉《かれは》を洗ひ去れ
霞に酔へる雛鶴《ひなづる》よ
若きあしたの空に飛べ

春はきぬ
  春はきぬ
うれひの芹《せり》の根を絶えて
氷れるなみだ今いづこ
つもれる雪の消えうせて
けふの若菜と萌《も》えよかし

   四 眠れる春よ

ねむれる春ようらわかき
かたちをかくすことなかれ
たれこめてのみけふの日を
なべてのひとのすぐすまに
さめての春のすがたこそ
また夢のまの風情《ふぜい》なれ

ねむげの春よさめよ春
さかしきひとのみざるまに
若紫の朝霞
かすみの袖《そで》をみにまとへ
はつねうれしきうぐひすの
鳥のしらべをうたへかし

ねむげの春よさめよ春
ふゆのこほりにむすぼれし
ふるきゆめぢをさめいでて
やなぎのいとのみだれがみ
うめのはなぐしさしそへて
びんのみだれをかきあげよ

ねむげの春よさめよ春
あゆめばたにの早《さ》わらびの
したもえいそぐ汝《な》があしを
かたくもあげよあゆめ春
たえなるはるのいきを吹き
こぞめの梅の香ににほへ

   五 うてや鼓

うてや鼓《つづみ》の春の音
雪にうもるゝ冬の日の
かなしき夢はとざされて
世は春の日とかはりけり

ひけばこぞめの春霞
かすみの幕をひきとぢて
花と花とをぬふ糸は
けさもえいでしあをやなぎ

霞のまくをひきあけて
春をうかゞふことなかれ
はなさきにほふ蔭をこそ
春の台《うてな》といふべけれ

小蝶《こちょう》よ花にたはぶれて
優しき夢をみては舞ひ
酔《ゑ》ふて羽袖《はそで》もひら/\と
はるの姿をまひねかし

緑のはねのうぐひすよ
梅の花笠ぬひそへて
ゆめ静《しづか》なるはるの日の
しらべを高く歌へかし

  小詩

くめどつきせぬ
わかみづを
きみとくまゝし
かのいづみ

かわきもしらぬ
わかみづを
きみとのまゝし
かのいづみ

かのわかみづと
みをなして
はるのこゝろに
わきいでん

かのわかみづと
みをなして
きみとながれん
花のかげ

  明星

浮べる雲と身をなして
あしたの空《そら》に出でざれば
などしるらめや明星の
光の色のくれなゐを

朝の潮《うしほ》と身をなして
流れて海に出でざれば
などしるらめや明星の
清《す》みて哀《かな》しききらめきを

なにかこひしき暁星《あかぼし》の
空《むな》しき天《あま》の戸を出でて
深くも遠きほとりより
人の世近く来《きた》るとは

潮《うしほ》の朝のあさみどり
水底《みなそこ》深き白石を
星の光に透《す》かし見て
朝の齢《よはひ》を数ふべし

野の鳥ぞ啼《な》く山河《やまかは》も
ゆふべの夢をさめいでて
細く棚引《たなび》くしのゝめの
姿をうつす朝ぼらけ

小夜《さよ》には小夜のしらべあり
朝には朝の音《ね》もあれど
星の光の糸の緒《を》に
あしたの琴《こと》は静《しづか》なり

まだうら若き朝の空
きらめきわたる星のうち
いと/\若き光をば
名《なづ》けましかば明星と

  潮音

わきてながるゝ
やほじほの
そこにいざよふ
うみの琴
しらべもふかし
もゝかはの
よろづのなみを
よびあつめ
ときみちくれば
うらゝかに
とほくきこゆる
はるのしほのね

  酔歌

旅と旅との君や我
君と我とのなかなれば
酔ふて袂《たもと》の歌草《うたぐさ》を
醒《さ》めての君に見せばやな

若き命も過ぎぬ間《ま》に
楽しき春は老いやすし
誰《た》が身にもてる宝《たから》ぞや
君くれなゐのかほばせは

君がまなこに涙あり
君が眉には憂愁《うれひ》あり
堅《かた》く結べるその口に
それ声も無きなげきあり

名もなき道を説《と》くなかれ
名もなき旅を行くなかれ
甲斐《かひ》なきことをなげくより
来《きた》りて美《うま》き酒に泣け

光もあらぬ春の日の
独りさみしきものぐるひ
悲しき味の世の智恵に
老いにけらしな旅人よ

心の春の燭火《ともしび》に
若き命を照らし見よ
さくまを待たで花散らば
哀《かな》しからずや君が身は

わきめもふらで急ぎ行く
君の行衛《ゆくへ》はいづこぞや
琴花酒《ことはなさけ》のあるものを
とゞまりたまへ旅人よ

  二つの声

   朝

たれか聞くらん朝の声
眠《ねむり》と夢を破りいで
彩《あや》なす雲にうちのりて
よろづの鳥に歌はれつ
天のかなたにあらはれて
東の空に光あり
そこに時《とき》あり始《はじめ》あり
そこに道あり力あり
そこに色あり詞《ことば》あり
そこに声あり命あり
そこに名ありとうたひつゝ
みそらにあがり地にかけり
のこんの星ともろともに
光のうちに朝ぞ隠るゝ

   暮

たれか聞くらん暮の声
霞の翼《つばさ》雲の帯
煙の衣《ころも》露の袖《そで》
つかれてなやむあらそひを
闇のかなたに投げ入れて
夜の使《つかひ》の蝙蝠《かはほり》の
飛ぶ間も声のをやみなく
こゝに影あり迷《まよひ》あり
こゝに夢あり眠《ねむり》あり
こゝに闇あり休息《やすみ》あり
こゝに永《なが》きあり遠きあり
こゝに死ありとうたひつゝ
草木にいこひ野にあゆみ
かなたに落つる日とともに
色なき闇に暮ぞ隠るゝ

  哀歌

    中野逍遙をいたむ
『秀才香骨幾人憐、秋入長安夢愴然、琴台旧譜※[#「土へん+盧」、第3水準1−15−68]前柳、風流銷尽二千年』、これ中野逍遙が秋怨十絶《しゅうえんじゅうぜつ》の一なり。逍遙字は威卿、小字重太郎、予州宇和島の人なりといふ。文科大学の異材なりしが年|僅《わづ》かに二十七にしてうせぬ。逍遙遺稿正外二篇、みな紅心の余唾にあらざるはなし。左に掲ぐるはかれの清怨を写せしもの、『寄語残月休長嘆、我輩亦是艶生涯』、合せかゝげてこの秀才を追慕するのこゝろをとゞむ。

    思君九首     中野逍遙

[#ここから2字下げ]
思君我心傷    思君我容瘁
中夜坐松蔭    露華多似涙

思君我心悄    思君我腸裂
昨夜涕涙流    今朝尽成血

示君錦字詩    寄君鴻文冊
忽覚筆端香    ※[#「窗/心」、第3水準1−89−54]外梅花白

為君調綺羅    為君築金屋
中有鴛鴦図    長春夢百禄

贈君名香篋    応記韓寿恩
休将秋扇掩    明月照眉痕

贈君双臂環    宝玉価千金
一鐫不乖約    一題勿変心

訪君過台下    清宵琴響揺
佇門不敢入    恐乱月前調

千里囀金鶯    春風吹緑野
忽発頭屋桃    似君三両朶

嬌影三分月    芳花一朶梅
渾把花月秀    作君玉膚堆
[#ここで字下げ終わり]

かなしいかなや流れ行く
水になき名をしるすとて
今はた残る歌反古《うたほご》の
ながき愁《うれ》ひをいかにせむ

かなしいかなやする墨《すみ》の
いろに染めてし花の木の
君がしらべの歌の音に
薄き命のひゞきあり

かなしいかなや前《さき》の世は
みそらにかゝる星の身の
人の命のあさぼらけ
光も見せでうせにしよ

かなしいかなや同じ世に
生れいでたる身を持ちて
友の契《ちぎ》りも結ばずに
君は早くもゆけるかな

すゞしき眼《まなこ》つゆを帯び
葡萄《ぶどう》のたまとまがふまで
その面影をつたへては
あまりに妬《ねた》き姿かな

同じ時世《ときよ》に生れきて
同じいのちのあさぼらけ
君からくれなゐの花は散り
われ命あり八重葎《やへむぐら》

かなしいかなやうるはしく
さきそめにける花を見よ
いかなればかくとゞまらで
待たで散るらんさける間《ま》も

かなしいかなやうるはしき
なさけもこひの花を見よ
いと/\清きそのこひは
消ゆとこそ聞けいと早く

君し花とにあらねども
いな花よりもさらに花
君しこひとにあらねども
いなこひよりもさらにこひ

かなしいかなや人の世に
あまりに惜しき才《ざえ》なれば
病《やまひ》に塵《ちり》に悲《かなしみ》に
死にまでそしりねたまるゝ

かなしいかなやはたとせの
ことばの海のみなれ棹《ざを》
磯にくだくる高潮《たかじほ》の
うれひの花とちりにけり

かなしいかなや人の世の
きづなも捨てて嘶《いなな》けば
つきせぬ草に秋は来て
声も悲しき天の馬

かなしいかなや音《ね》を遠み
流るゝ水の岸にさく
ひとつの花に照らされて
飄《ひるがへ》り行く一葉舟《ひとはぶね》
[#改段]

四 深林の逍遙《しょうよう》、其他


  深林の逍遙

力を刻《きざ》む木匠《こだくみ》の
うちふる斧のあとを絶え
春の草花《くさばな》彫刻《ほりもの》の
鑿《のみ》の韻《にほひ》もとゞめじな
いろさま/″\の春の葉に
青一筆《あをひとふで》の痕《あと》もなく
千枝《ちえ》にわかるゝ赤樟《あかくす》も
おのづからなるすがたのみ
檜《ひのき》は荒し杉直し
五葉は黒し椎《しひ》の木の
枝をまじゆる白樫《しらかし》や
樗《あふち》は茎をよこたへて
枝と枝とにもゆる火の
なかにやさしき若楓《わかかへで》

[#ここから2字下げ]
  山精《やまびこ》

ひとにしられぬ
たのしみの
ふかきはやしを
たれかしる

ひとにしられぬ
はるのひの
かすみのおくを
たれかしる

  木精《こだま》

はなのむらさき
はのみどり
うらわかぐさの
のべのいと

たくみをつくす
大機《おほはた》の
梭《をさ》のはやしに
きたれかし

  山精

かのもえいづる
くさをふみ
かのわきいづる
みづをのみ

かのあたらしき
はなにゑひ
はるのおもひの
なからずや

  木精

ふるきころもを
ぬぎすてて
はるのかすみを
まとへかし

なくうぐひすの
ねにいでて
ふかきはやしに
うたへかし
[#ここで字下げ終わり]

あゆめば蘭《らん》の花を踏み
ゆけば楊梅《やまもも》袖に散り
袂《たもと》にまとふ山葛《やまくづ》の
葛のうら葉をかへしては
女蘿《ひかげ》の蔭のやまいちご
色よき実こそ落ちにけれ
岡やまつゞき隈々《くまぐま》も
いとなだらかに行き延《の》びて
ふかきはやしの谷あひに
乱れてにほふふぢばかま
谷に花さき谷にちり
人にしられず朽《く》つるめり
せまりて暗き峡《はざま》より
やゝひらけたる深山木《みやまぎ》の
春は小枝《こえだ》のたゝずまひ
しげりて広き熊笹の
葉末をふかくかきわけて
谷のかなたにきて見れば
いづくに行くか滝川よ
声もさびしや白糸の
青き巌《いはほ》に流れ落ち
若き猿《ましら》のためにだに
音《おと》をとゞむる時ぞなき

[#ここから2字下げ]
  山精

ゆふぐれかよふ
たびびとの
むねのおもひを
たれかしる

友にもあらぬ
やまかはの
はるのこゝろを
たれかしる

  木精

夜をなきあかす
かなしみの
まくらにつたふ
なみだこそ

ふかきはやしの
たにかげの
そこにながるゝ
しづくなれ

  山精

鹿はたふるゝ
たびごとに
妻こふこひに
かへるなり

のやまは枯るゝ
たびごとに
ちとせのはるに
かへるなり

  木精

ふるきおちばを
やはらかき
青葉のかげに
葬れよ

ふゆのゆめぢを
さめいでて
はるのはやしに
きたれかし
[#ここで字
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