かけ》るべき術《すべ》をのみ
願ふ心のなかれとて
黒髪《くろかみ》長き吾身こそ
うまれながらの盲目《めしひ》なれ

芙蓉《ふよう》を前《さき》の身とすれば
泪《なみだ》は秋の花の露
小琴《をごと》を前《さき》の身とすれば
愁《うれひ》は細き糸の音
いま前《さき》の世は鷲の身の
処女にあまる羽翼《つばさ》かな

あゝあるときは吾心
あらゆるものをなげうちて
世はあぢきなき浅茅生《あさぢふ》の
茂れる宿《やど》と思ひなし
身は術《すべ》もなき蟋蟀《こほろぎ》の
夜《よる》の野草《のぐさ》にはひめぐり
たゞいたづらに音《ね》をたてて
うたをうたふと思ふかな

色《いろ》にわが身をあたふれば
処女のこゝろ鳥となり
恋に心をあたふれば
鳥の姿は処女にて
処女ながらも空《そら》の鳥
猛鷲《あらわし》ながら人の身の
天《あめ》と地《つち》とに迷ひゐる
身の定めこそ悲しけれ

  おさよ

潮《うしほ》さみしき荒磯《あらいそ》の
巌陰《いはかげ》われは生れけり

あしたゆふべの白駒《しろごま》と
故郷《ふるさと》遠きものおもひ

をかしくものに狂へりと
われをいふらし世のひとの

げに狂はしの身なるべき
この年までの処女《をとめ》とは

うれひは深く手もたゆく
むすぼほれたるわが思《おもひ》

流れて熱《あつ》きわがなみだ
やすむときなきわがこゝろ

乱《みだ》れてものに狂ひよる
心を笛の音《ね》に吹かん

笛をとる手は火にもえて
うちふるひけり十《とを》の指

音《ね》にこそ渇《かわ》け口唇《くちびる》の
笛を尋《たづ》ぬる風情《ふぜい》あり

はげしく深きためいきに
笛の小竹《をだけ》や曇るらん

髪は乱れて落つるとも
まづ吹き入るゝ気息《いき》を聴《き》け

力をこめし一ふしに
黄楊《つげ》のさし櫛《ぐし》落ちてけり

吹けば流るゝ流るれば
笛吹き洗ふわが涙

短き笛の節《ふし》の間《ま》も
長き思《おもひ》のなからずや

七つの情《こころ》声を得て
音《ね》をこそきかめ歌神《うたがみ》も

われ喜《よろこび》を吹くときは
鳥も梢《こずゑ》に音《ね》をとゞめ

怒《いかり》をわれの吹くときは
瀬《せ》を行く魚も淵《ふち》にあり

われ哀《かなしみ》を吹くときは
獅子《しし》も涙をそゝぐらむ

われ楽《たのしみ》を吹くときは
虫も鳴く音《ね》をやめつらむ

愛のこゝろを吹くときは
流るゝ水のたち帰り

悪《にくみ》をわれの吹くときは
散り行く花も止《とどま》りて

慾《よく》の思《おもひ》を吹くときは
心の闇《やみ》の響《ひびき》あり

うたへ浮世《うきよ》の一ふしは
笛の夢路のものぐるひ

くるしむなかれ吾《わが》友よ
しばしは笛の音《ね》に帰れ

落つる涙をぬぐひきて
静かにきゝね吾笛を

  おくめ

こひしきまゝに家を出《い》で
こゝの岸よりかの岸へ
越えましものと来て見れば
千鳥鳴くなり夕まぐれ

こひには親も捨てはてて
やむよしもなき胸の火や
鬢《びん》の毛を吹く河風よ
せめてあはれと思へかし

河波《かはなみ》暗く瀬を早み
流れて巌《いは》に砕《くだ》くるも
君を思へば絶間なき
恋の火炎《ほのほ》に乾《かわ》くべし

きのふの雨の小休《をやみ》なく
水嵩《みかさ》や高くまさるとも
よひ/\になくわがこひの
涙の滝におよばじな

しりたまはずやわがこひは
花鳥《はなとり》の絵にあらじかし
空鏡《かがみ》の印象《かたち》砂の文字
梢の風の音にあらじ

しりたまはずやわがこひは
雄々《をを》しき君の手に触れて
嗚呼《ああ》口紅《くちべに》をその口に
君にうつさでやむべきや

恋は吾身の社《やしろ》にて
君は社の神なれば
君の祭壇《つくゑ》の上ならで
なににいのちを捧《ささ》げまし

砕《くだ》かば砕け河波《かはなみ》よ
われに命はあるものを
河波高く泳ぎ行き
ひとりの神にこがれなん

心のみかは手も足も
吾身はすべて火炎《ほのほ》なり
思ひ乱れて嗚呼恋の
千筋《ちすぢ》の髪の波に流るゝ

  おつた

花|仄《ほの》見ゆる春の夜の
すがたに似たる吾命《わがいのち》
朧々《おぼろおぼろ》に父母《ちちはは》は
二つの影と消えうせて
世に孤児《みなしご》の吾身こそ
影より出でし影なれや
たすけもあらぬ今は身は
若き聖《ひじり》に救はれて
人なつかしき前髪《まへがみ》の
処女《をとめ》とこそはなりにけれ

若き聖《ひじり》ののたまはく
時をし待たむ君ならば
かの柿の実をとるなかれ
かくいひたまふうれしさに
ことしの秋もはや深し
まづその秋を見よやとて
聖に柿をすゝむれば
その口唇《くちびる》にふれたまひ
かくも色よき柿ならば
などかは早くわれに告げこぬ

若き聖ののたまはく
人の命の惜《を》しからば
嗚呼《ああ》かの酒を飲むなかれ
かくいひたまふうれしさに
酒なぐさめの一つなり
まづその春を見よやとて
聖に酒をすゝむれば
夢の心地に酔ひたまひ
かくも楽しき酒ならば
などかは早くわれに告げこぬ

若き聖ののたまはく
道行き急ぐ君ならば
迷ひの歌をきくなかれ
かくいひたまふうれしさに
歌も心の姿なり
まづその声をきけやとて
一ふしうたひいでければ
聖は魂《たま》も酔ひたまひ
かくも楽しき歌ならば
などかは早くわれに告げこぬ

若き聖ののたまはく
まことをさぐる吾身なり
道の迷《まよひ》となるなかれ
かくいひたまふうれしさに
情《なさけ》も道の一つなり
かゝる思《おもひ》を見よやとて
わがこの胸に指ざせば
聖は早く恋ひわたり
かくも楽しき恋ならば
などかは早くわれに告げこぬ

それ秋の日の夕まぐれ
そゞろあるきのこゝろなく
ふと目に入るを手にとれば
雪より白き小石なり
若き聖ののたまはく
智恵の石とやこれぞこの
あまりに惜しき色なれば
人に隠して今も放《はな》たじ

  おきく

くろかみながく
    やはらかき
をんなごころを
    たれかしる

をとこのかたる
    ことのはを
まこととおもふ
    ことなかれ

をとめごころの
    あさくのみ
いひもつたふる
    をかしさや

みだれてながき
    鬢《びん》の毛を
黄楊《つげ》の小櫛《をぐし》に
    かきあげよ

あゝ月《つき》ぐさの
    きえぬべき
こひもするとは
    たがことば

こひて死なんと
    よみいでし
あつきなさけは
    誰《た》がうたぞ

みちのためには
    ちをながし
くにには死ぬる
    をとこあり

治兵衛はいづれ
    恋か名か
忠兵衛も名の
    ために果《は》つ

あゝむかしより
    こひ死にし
をとこのありと
    しるや君

をんなごころは
    いやさらに
ふかきなさけの
    こもるかな

小春はこひに
    ちをながし
梅川こひの
    ために死ぬ

お七はこひの
    ために焼け
高尾はこひの
    ために果つ

かなしからずや
    清姫は
蛇《へび》となれるも
    こひゆゑに

やさしからずや
    佐容姫《さよひめ》は
石となれるも
    こひゆゑに

をとこのこひの
    たはぶれは
たびにすてゆく
    なさけのみ

こひするなかれ
    をとめごよ
かなしむなかれ
    わがともよ

こひするときと
    かなしみと
いづれかながき
    いづれみじかき
[#改段]

三 生のあけぼの


  草枕

夕波くらく啼《な》く千鳥
われは千鳥にあらねども
心の羽《はね》をうちふりて
さみしきかたに飛べるかな

若き心の一筋《ひとすぢ》に
なぐさめもなくなげきわび
胸の氷のむすぼれて
とけて涙となりにけり

蘆葉《あしは》を洗ふ白波の
流れて巌《いは》を出づるごと
思ひあまりて草枕
まくらのかずの今いくつ

かなしいかなや人の身の
なきなぐさめを尋《たづ》ね侘《わ》び
道なき森に分け入りて
などなき道をもとむらん

われもそれかやうれひかや
野末《のずゑ》に山に谷蔭《たにかげ》に
見るよしもなき朝夕の
光もなくて秋暮れぬ

想《おもひ》も薄く身も暗く
残れる秋の花を見て
行くへもしらず流れ行く
水に涙の落つるかな

身を朝雲《あさぐも》にたとふれば
ゆふべの雲の雨となり
身を夕雨《ゆふあめ》にたとふれば
あしたの雨の風となる

されば落葉と身をなして
風に吹かれて飄《ひるがへ》り
朝の黄雲《きぐも》にともなはれ
夜《よる》白河を越えてけり

道なき今の身なればか
われは道なき野を慕ひ
思ひ乱れてみちのくの
宮城野《みやぎの》にまで迷ひきぬ

心の宿《やど》の宮城野よ
乱れて熱き吾《わが》身には
日影も薄く草枯れて
荒れたる野こそうれしけれ

ひとりさみしき吾耳は
吹く北風を琴《こと》と聴《き》き
悲み深き吾目には
色彩《いろ》なき石も花と見き

あゝ孤独《ひとりみ》の悲痛《かなしさ》を
味ひ知れる人ならで
誰《たれ》にかたらん冬の日の
かくもわびしき野のけしき

都のかたをながむれば
空冬雲に覆《おほ》はれて
身にふりかゝる玉霰《たまあられ》
袖《そで》の氷と閉ぢあへり

みぞれまじりの風|勁《つよ》く
小川の水の薄氷
氷のしたに音するは
流れて海に行く水か

啼《な》いて羽風《はかぜ》もたのもしく
雲に隠るゝかさゝぎよ
光もうすき寒空《さむぞら》の
汝《なれ》も荒れたる野にむせぶ

涙も凍る冬の日の
光もなくて暮れ行けば
人めも草も枯れはてて
ひとりさまよふ吾身かな

かなしや酔ふて行く人の
踏めばくづるゝ霜柱
なにを酔ひ泣く忍び音《ね》に
声もあはれのその歌は

うれしや物の音《ね》を弾《ひ》きて
野末をかよふ人の子よ
声調《しらべ》ひく手も凍りはて
なに門《かど》づけの身の果《はて》ぞ

やさしや年もうら若く
まだ初恋のまじりなく
手に手をとりて行く人よ
なにを隠るゝその姿

野のさみしさに堪へかねて
霜と霜との枯草の
道なき道をふみわけて
きたれば寒し冬の海

朝は海辺《うみべ》の石の上《へ》に
こしうちかけてふるさとの
都のかたを望めども
おとなふものは濤《なみ》ばかり

暮はさみしき荒磯《あらいそ》の
潮《うしほ》を染めし砂に伏し
日の入るかたをながむれど
湧《わ》きくるものは涙のみ

さみしいかなや荒波の
岩に砕《くだ》けて散れるとき
かなしいかなや冬の日の
潮《うしほ》とともに帰るとき

誰《たれ》か波路を望み見て
そのふるさとを慕はざる
誰か潮の行くを見て
この人の世を惜《をし》まざる

暦《こよみ》もあらぬ荒磯の
砂路にひとりさまよへば
みぞれまじりの雨雲の
落ちて潮となりにけり

遠く湧きくる海の音
慣れてさみしき吾耳に
怪しやもるゝものの音《ね》は
まだうらわかき野路の鳥

嗚呼《ああ》めづらしのしらべぞと
声のゆくへをたづぬれば
緑の羽《はね》もまだ弱き
それも初音《はつね》か鶯《うぐひす》の

春きにけらし春よ春
まだ白雪の積れども
若菜の萌《も》えて色青き
こゝちこそすれ砂の上《へ》に

春きにけらし春よ春
うれしや風に送られて
きたるらしとや思へばか
梅が香《か》ぞする海の辺《べ》に

磯辺に高き大巌《おほいは》の
うへにのぼりてながむれば
春やきぬらん東雲《しののめ》の
潮《しほ》の音《ね》遠き朝ぼらけ

  春


   一 たれかおもはむ

たれかおもはむ鶯《うぐひす》の
涙もこほる冬の日に
若き命は春の夜の
花にうつろふ夢の間《ま》と
あゝよしさらば美酒《うまざけ》に
うたひあかさん春の夜を

梅のにほひにめぐりあふ
春を思へばひとしれず
からくれなゐのかほばせに
流れてあつきなみだかな
あゝよしさらば花影に
うたひあかさん春の夜を

わがみひとつもわすられて
おもひわづらふこゝろだに
春のすがたをとめくれば
たもとににほふ梅の花
あゝよしさらば琴《こと》の音《ね》に
うたひあかさん春の夜を

   二 あけぼの

紅《くれなゐ》細くたなびけたる
雲とならばやあけぼのの
       雲とならばや

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