下げ終わり]

今しもわたる深山《みやま》かぜ
春はしづかに吹きかよふ
林の簫《しょう》の音《ね》をきけば
風のしらべにさそはれて
みれどもあかぬ白妙《しろたへ》の
雲の羽袖《はそで》の深山木の
千枝《ちえだ》にかゝりたちはなれ
わかれ舞ひゆくすがたかな
樹々《きぎ》をわたりて行く雲の
しばしと見ればあともなき
高き行衛《ゆくへ》にいざなはれ
千々にめぐれる巌影《いはかげ》の
花にも迷ひ石に倚《よ》り
流るゝ水の音をきけば
山は危ふく石わかれ
削《けづ》りてなせる青巌《あをいは》に
砕けて落つる飛潭《たきみづ》の
湧きくる波の瀬を早み
花やかにさす春の日の
光烱《ひかり》照りそふ水けぶり
独り苔《こけ》むす岩を攀《よ》ぢ
ふるふあゆみをふみしめて
浮べる雲をうかゞへば
下にとゞろく飛潭《たきみづ》の
澄むいとまなき岩波は
落ちていづくに下るらん

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  山精

なにをいざよふ
むらさきの
ふかきはやしの
はるがすみ

なにかこひしき
いはかげを
ながれていづる
いづみがは

  木精

かくれてうたふ
野の山の
こゑなきこゑを
きくやきみ

つゝむにあまる
はなかげの
水のしらべを
しるやきみ

  山精

あゝながれつゝ
こがれつゝ
うつりゆきつゝ
うごきつゝ

あゝめぐりつゝ
かへりつゝ
うちわらひつゝ
むせびつゝ

  木精

いまひのひかり
はるがすみ
いまはなぐもり
はるのあめ

あゝあゝはなの
つゆに酔ひ
ふかきはやしに
うたへかし
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ゆびをりくればいつたびも
かはれる雲をながむるに
白きは黄なりなにをかも
もつ筆にせむ色彩《いろあや》の
いつしか淡く茶を帯びて
雲くれなゐとかはりけり
あゝゆふまぐれわれひとり
たどる林もひらけきて
いと静かなる湖の
岸辺にさける花躑躅《はなつつじ》
うき雲ゆけばかげ見えて
水に沈める春の日や
それ紅《くれなゐ》の色染めて
雲|紫《むらさき》となりぬれば
かげさへあかき水鳥の
春のみづうみ岸の草
深き林や花つゝじ
迷ふひとりのわがみだに
深紫《ふかむらさき》の紅《くれなゐ》の
彩《あや》にうつろふ夕まぐれ

  母を葬るのうた
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うき雲はありともわかぬ大空の
    月のかげよりふるしぐれかな
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きみがはかばに
    きゞくあり
きみがはかばに
    さかきあり

くさはにつゆは
    しげくして
おもからずやは
    そのしるし

いつかねむりを
    さめいでて
いつかへりこん
    わがはゝよ

紅羅《あから》ひく子も
    ますらをも
みなちりひぢと
    なるものを

あゝさめたまふ
    ことなかれ
あゝかへりくる
    ことなかれ

はるははなさき
    はなちりて
きみがはかばに
    かゝるとも

なつはみだるゝ
    ほたるびの
きみがはかばに
    とべるとも

あきはさみしき
    あきさめの
きみがはかばに
    そゝぐとも

ふゆはましろに
    ゆきじもの
きみがはかばに
    こほるとも

とほきねむりの
    ゆめまくら
おそるゝなかれ
    わがはゝよ

  合唱

   一 暗香《あんこう》
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はるのよはひかりはかりとおもひしを
    しろきやうめのさかりなるらむ
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   姉

わかきいのちの
    をしければ
やみにも春の
    香《か》に酔はん

せめてこよひは
    さほひめよ
はなさくかげに
    うたへかし

   妹

そらもゑへりや
    はるのよは
ほしもかくれて
    みえわかず

よめにもそれと
    ほのしろく
みだれてにほふ
    うめのはな

   姉

はるのひかりの
    こひしさに
かたちをかくす
    うぐひすよ

はなさへしるき
    はるのよの
やみをおそるゝ
    ことなかれ

   妹

うめをめぐりて
    ゆくみづの
やみをながるゝ
    せゝらぎや

ゆめもさそはぬ
    香《か》なりせば
いづれかよるに
    にほはまし

   姉

こぞのこよひは
    わがともの
うすこうばいの
    そめごろも

ほかげにうつる
    さかづきを
こひのみゑへる
    よなりけり

   妹

こぞのこよひは
    わがともの
なみだをうつす
    よのなごり

かげもかなしや
    木下川《きねがは》に
うれひしづみし
    よなりけり

   姉

こぞのこよひは
    わがともの
おもひははるの
    よのゆめや

よをうきものに
    いでたまふ
ひとめをつゝむ
    よなりけり

   妹

こぞのこよひは
    わがともの
そでのかすみの
    はなむしろ

ひくやことのね
    たかじほを
うつしあはせし
    よなりけり

   姉

わがみぎのてに
    くらぶれば
やさしきなれが
    たなごころ

ふるればいとゞ
    やはらかに
もゆるかあつく
    おもほゆる

   妹

もゆるやいかに
    こよひはと
とひたまふこそ
    うれしけれ

しりたまはずや
    うめがかに
わがうまれてし
    はるのよを

   二 蓮花舟《れんげぶね》
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しは/\もこほるゝつゆははちすはの
    うきはにのみもたまりけるかな
[#ここで字下げ終わり]

   姉

あゝはすのはな
    はすのはな
かげはみえけり
    いけみづに

ひとつのふねに
    さをさして
うきはをわけて
    こぎいでん

   妹

かぜもすゞしや
    はがくれに
そこにもしろし
    はすのはな

こゝにもあかき
    はすばなの
みづしづかなる
    いけのおも

   姉

はすをやさしみ
    はなをとり
そでなひたしそ
    いけみづに

ひとめもはぢよ
    はなかげに
なれが乳房《ちぶさ》の
    あらはるゝ

   妹

ふかくもすめる
    いけみづの
葉にすれてゆく
    みなれざを

なつぐもゆけば
    かげみえて
はなよりはなを
    わたるらし

   姉

荷葉《はすは》にうたひ
    ふねにのり
はなつみのする
    なつのゆめ

はすのはなふね
    さをとめて
なにをながむる
    そのすがた

   妹

なみしづかなる
    はなかげに
きみのかたちの
    うつるかな

きみのかたちと
    なつばなと
いづれうるはし
    いづれやさしき

   三 葡萄《ぶどう》の樹《き》のかげ
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はるあきにおもひみたれてわきかねつ
    ときにつけつゝうつるこゝろは
[#ここで字下げ終わり]

   妹

たのしからずや
    はなやかに
あきはいりひの
    てらすとき

たのしからずや
    ぶだうばの
はごしにくもの
    かよふとき

   姉

やさしからずや
    むらさきの
ぶだうのふさの
    かゝるとき

やさしからずや
    にひぼしの
ぶだうのたまに
    うつるとき

   妹

かぜはしづかに
    そらすみて
あきはたのしき
    ゆふまぐれ

いつまでわかき
    をとめごの
たのしきゆめの
    われらぞや

   姉

あきのぶだうの
    きのかげの
いかにやさしく
    ふかくとも

てにてをとりて
    かげをふむ
なれとわかれて
    なにかせむ

   妹

げにやかひなき
    くりごとも
ぶだうにしかじ
    ひとふさの

われにあたへよ
    ひとふさを
そこにかゝれる
    むらさきの

   姉

われをしれかし
    えだたかみ
とゞかじものを
    かのふさは

はかげのたまに
    てはふれて
わがさしぐしの
    おちにけるかな

   四 高楼《たかどの》
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わかれゆくひとををしむとこよひより
    とほきゆめちにわれやまとはん
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   妹

とほきわかれに
    たへかねて
このたかどのに
    のぼるかな

かなしむなかれ
    わがあねよ
たびのころもを
    とゝのへよ

   姉

わかれといへば
    むかしより
このひとのよの
    つねなるを

ながるゝみづを
    ながむれば
ゆめはづかしき
    なみだかな

   妹

したへるひとの
    もとにゆく
きみのうへこそ
    たのしけれ

ふゆやまこえて
    きみゆかば
なにをひかりの
    わがみぞや

   姉

あゝはなとりの
    いろにつけ
ねにつけわれを
    おもへかし

けふわかれては
    いつかまた
あひみるまでの
    いのちかも

   妹

きみがさやけき
    めのいろも
きみくれなゐの
    くちびるも

きみがみどりの
    くろかみも
またいつかみん
    このわかれ

   姉

なれがやさしき
    なぐさめも
なれがたのしき
    うたごゑも

なれがこゝろの
    ことのねも
またいつきかん
    このわかれ

   妹

きみのゆくべき
    やまかはは
おつるなみだに
    みえわかず

そでのしぐれの
    ふゆのひに
きみにおくらん
    はなもがな

   姉

そでにおほへる
    うるはしき
ながかほばせを
    あげよかし

ながくれなゐの
    かほばせに
ながるゝなみだ
    われはぬぐはん

  梭《をさ》の音《ね》

梭の音を聞くべき人は今いづこ
心を糸により初《そ》めて
涙ににじむ木綿《もめん》縞
やぶれし※[#「窗/心」、第3水準1−89−54]《まど》に身をなげて
暮れ行く空をながむれば
ねぐらに急ぐ村鴉《むらがらす》
連《つれ》にはなれて飛ぶ一羽
あとを慕ふてかあ/\と

  かもめ

波に生れて波に死ぬ
情《なさけ》の海のかもめどり
恋の激浪《おほなみ》たちさわぎ
夢むすぶべきひまもなし

闇《くら》き潮《うしほ》の驚きて
流れて帰るわだつみの
鳥の行衛《ゆくへ》も見えわかぬ
波にうきねのかもめどり

  流星

門《かど》にたち出《い》でたゞひとり
人待ち顔のさみしさに
ゆふべの空をながむれば
雲の宿りも捨てはてて
何かこひしき人の世に
流れて落つる星一つ

  君と遊ばん

君と遊ばん夏の夜の
青葉の影の下すゞみ
短かき夢は結ばずも
せめてこよひは歌へかし

雲となりまた雨となる
昼の愁《うれ》ひはたえずとも
星の光をかぞへ見よ
楽《たのし》みのかず夜《よ》は尽きじ

夢かうつゝか天《あま》の川《がは》
星に仮寝の織姫の
ひゞきもすみてこひわたる
梭《をさ》の遠音《とほね》を聞かめやも

  昼の夢

花橘《はなたちばな》の袖《そで》の香《か》の
みめうるはしきをとめごは
真昼《まひる》に夢を見てしより
さめて忘るゝ夜のならひ
白日《まひる》の夢のなぞもかく
忘れがたくはありけるものか

ゆめと知りせばなまなかに
さめざらましを世に出《い》でて
うらわかぐさのうらわかみ
何をか夢の名残ぞと
問はゞ答へん目さめては
熱き涙のかわく間もなし

  東西南北

男ごころをたとふれば
つよくもくさをふくかぜか
もとよりかぜのみにしあれば
きのふは東けふは西

女ごころをたとふれば
かぜにふかるゝくさなれや
もとよりくさのみにしあれば
きのふは南けふは北

  懐古

天《あま》の河原《かはら》にやほよろづ
ちよろづ神のかんつどひ
つどひいませしあめつちの
始《はじめ》のときを誰《たれ》か知る

それ大神《おほがみ》の天雲《あまぐも》の

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