君にうつさでやむべきや

恋は吾身の社《やしろ》にて
君は社の神なれば
君の祭壇《つくゑ》の上ならで
なににいのちを捧《ささ》げまし

砕《くだ》かば砕け河波《かはなみ》よ
われに命はあるものを
河波高く泳ぎ行き
ひとりの神にこがれなん

心のみかは手も足も
吾身はすべて火炎《ほのほ》なり
思ひ乱れて嗚呼恋の
千筋《ちすぢ》の髪の波に流るゝ

  おつた

花|仄《ほの》見ゆる春の夜の
すがたに似たる吾命《わがいのち》
朧々《おぼろおぼろ》に父母《ちちはは》は
二つの影と消えうせて
世に孤児《みなしご》の吾身こそ
影より出でし影なれや
たすけもあらぬ今は身は
若き聖《ひじり》に救はれて
人なつかしき前髪《まへがみ》の
処女《をとめ》とこそはなりにけれ

若き聖《ひじり》ののたまはく
時をし待たむ君ならば
かの柿の実をとるなかれ
かくいひたまふうれしさに
ことしの秋もはや深し
まづその秋を見よやとて
聖に柿をすゝむれば
その口唇《くちびる》にふれたまひ
かくも色よき柿ならば
などかは早くわれに告げこぬ

若き聖ののたまはく
人の命の惜《を》しからば
嗚呼《ああ》かの酒を飲むなかれ
かくい
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