若菜集
島崎藤村
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)秋は来《き》ぬ
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)油|黒髪《くろかみ》の
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)琴台旧譜※[#「土へん+盧」、第3水準1−15−68]前柳
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)舞へども/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
−−
こゝろなきうたのしらべは
ひとふさのぶだうのごとし
なさけあるてにもつまれて
あたゝかきさけとなるらむ
ぶだうだなふかくかゝれる
むらさきのそれにあらねど
こゝろあるひとのなさけに
かげにおくふさのみつよつ
そはうたのわかきゆゑなり
あぢはひもいろもあさくて
おほかたはかみてすつべき
うたゝねのゆめのそらごと
一 秋の思
秋
秋は来《き》ぬ
秋は来ぬ
一葉《ひとは》は花は露ありて
風の来て弾《ひ》く琴の音に
青き葡萄《ぶどう》は紫の
自然の酒とかはりけり
秋は来ぬ
秋は来ぬ
おくれさきだつ秋草《あきぐさ》も
みな夕霜《ゆふじも》のおきどころ
笑ひの酒を悲みの
盃《さかづき》にこそつぐべけれ
秋は来ぬ
秋は来ぬ
くさきも紅葉《もみぢ》するものを
たれかは秋に酔はざらめ
智恵《ちえ》あり顔のさみしさに
君笛を吹けわれはうたはむ
初恋
まだあげ初《そ》めし前髪《まへがみ》の
林檎《りんご》のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛《はなぐし》の
花ある君と思ひけり
やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅《うすくれなゐ》の秋の実《み》に
人こひ初《そ》めしはじめなり
わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃《さかづき》を
君が情《なさけ》に酌《く》みしかな
林檎畑の樹《こ》の下に
おのづからなる細道《ほそみち》は
誰《た》が踏みそめしかたみぞと
問ひたまふこそこひしけれ
狐のわざ
庭にかくるゝ小狐の
人なきときに夜《よる》いでて
秋の葡萄の樹の影に
しのびてぬすむつゆのふさ
恋は狐にあらねども
君は葡萄にあらねども
人しれずこそ忍びいで
君をぬすめる吾《わが》心
髪を洗へば
髪を洗へば紫の
小草《をぐさ》のまへに色みえて
足をあぐれば花鳥《はなとり》の
われに随《したが》ふ風情《ふぜい》あり
目にながむれば彩雲《あやぐも》の
まきてはひらく絵巻物《えまきもの》
手にとる酒は美酒《うまざけ》の
若き愁《うれひ》をたゝふめり
耳をたつれば歌神《うたがみ》の
きたりて玉《たま》の簫《ふえ》を吹き
口をひらけばうたびとの
一ふしわれはこひうたふ
あゝかくまでにあやしくも
熱きこゝろのわれなれど
われをし君のこひしたふ
その涙にはおよばじな
君がこゝろは
君がこゝろは蟋蟀《こほろぎ》の
風にさそはれ鳴くごとく
朝影《あさかげ》清《きよ》き花草《はなぐさ》に
惜《を》しき涙をそゝぐらむ
それかきならす玉琴《たまごと》の
一つの糸のさはりさへ
君がこゝろにかぎりなき
しらべとこそはきこゆめれ
あゝなどかくは触れやすき
君が優しき心もて
かくばかりなる吾《わが》こひに
触れたまはぬぞ恨《うら》みなる
傘《かさ》のうち
二人《ふたり》してさす一張《ひとはり》の
傘に姿をつゝむとも
情《なさけ》の雨のふりしきり
かわく間《ま》もなきたもとかな
顔と顔とをうちよせて
あゆむとすればなつかしや
梅花《ばいか》の油|黒髪《くろかみ》の
乱れて匂《にほ》ふ傘のうち
恋の一雨《ひとあめ》ぬれまさり
ぬれてこひしき夢の間《ま》や
染めてぞ燃ゆる紅絹《もみ》うらの
雨になやめる足まとひ
歌ふをきけば梅川よ
しばし情《なさけ》を捨てよかし
いづこも恋に戯《たはぶ》れて
それ忠兵衛《ちゅうべえ》の夢がたり
こひしき雨よふらばふれ
秋の入日の照りそひて
傘の涙を乾《ほ》さぬ間《ま》に
手に手をとりて行きて帰らじ
秋に隠れて
わが手に植ゑし白菊の
おのづからなる時くれば
一もと花の暮陰《ゆふぐれ》に
秋に隠《かく》れて窓にさくなり
知るや君
こゝろもあらぬ秋鳥《あきどり》の
声にもれくる一ふしを
知るや君
深くも澄《す》める朝潮《あさじほ》の
底にかくるゝ真珠《しらたま》を
知るや君
あやめもしらぬやみの夜に
静《しづか》にうごく星くづを
知るや君
まだ弾《ひ》きも見ぬをとめごの
胸にひそめる琴の音《ね》を
知るや君
秋風の歌
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さびしさ
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