《おもいで》が御胸の中を往たり来たりするという御様子で、私が御側に居ることすら忘れて御了いなすったようでした。
「ああああ着物も何も要らなくなっちゃった」
と仰《おっしゃ》りながら、その長襦袢を御抱きなすったまま、さんざん思いやって、涙は絶間《とめど》もなく美しい御顔を流れました。
その日は珍しく暖で、冬至近いとも思われません位。これは山の上に往々《たびたび》あることで、こういう陽気は雪になる前兆《しらせ》です。昼過となれば、灰色の低い雲が空一面に垂下る、家《うち》の内は薄暗くなる、そのうちにちらちら落ちて参りました。日は短し、暗さは暗し、いつ暮れるともなく燈火《あかり》を点《つけ》るようになりましたのです。爺さんも何処《どっか》へ行って飲んで来たものと見え、部屋へ入って寝込んで了いました。台所が済むと、私は奥様の御徒然《おさむしさ》が思われて、御側を離れないようにしました。時々雪の中を通る荷車の音が寂しく聞える位、四方《そこいら》は※[#「※」は「もんがまえ+貝」、37−13]《ひっそり》として、沈まり返って、戸の外で雪の積るのが思いやられるのでした。御一緒に胡燵《おこた》にあた
前へ
次へ
全87ページ中46ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング