の紐《ひも》を結んで、火鉢の前にべたりと坐って御覧なさいました。急に、ついと立ってまたその御羽織を脱ぎ捨てながら、
「それじゃ、これだ――もともとだ。アハハハハハハ」
 奥様がそれを引寄せて、御畳みなさるところを、御客様は銜煙管《くわえぎせる》で眺入って、もとの御包に御納《おしま》いなさるまで、熟《じっ》と視ていらっしゃいました。思いついたように、
「ハハハハ、婆さん紋付なんか入れてよこした」
 こういう罪もない御話を睦《むつ》まじそうになすっていらっしゃるところへ、旦那様も御用を片付けて、御二階から下りておいでなさいました。見る見る旦那様の下唇には嫉《ねたまし》いという御色が顕《あらわ》れました。御客様は急《せ》き立てて、
「さあ、出掛けましょう。もう三十分で汽車が出ますよ」
 御二人とも厚い外套《がいとう》を召して御出掛になりました。爺さんも御荷物を提げて、停車場まで随いて参りました。後で、取散かった物を片付けますと、御部屋の内は煙草の烟《けむり》ですこし噎《む》せる位。がらりと障子を開けて、御客様の蒲団《ふとん》や、掻巻《かいまき》や、男臭い御|寝衣《ねまき》などを縁へ乾しました
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