程に御思召すのでした。この同じ屋根の下に旦那様と御二人で御暮しなさるのは、それほど苦《つら》いと御思召すのでした。御器量から、御身分から――さぞ、あの巡礼の目には申分のない奥様と見えましたろう。奥様の目には、又た、世間という鎖に繋《つな》がれて否《いや》でも応でも引摺《ひきずら》れて、その日その日を夢のように御暮しなさるというよりか、見る影もない巡礼なぞの身の上の方が反《かえ》って自由なように御思いなさるのでした。
 御祝の宴《さかもり》がありましたから、旦那様の御帰は遅くなりました。外で旦那様が鼻の高かった日も、内では又た寂しい悲しい日でした。旦那様は酒臭い呼吸《いき》を奥様の御顔に吹きかけて置いて、直ぐ御二階の畳の上に倒れて御了いなすったのです。
 その夜から御床も別々に敷《の》べました。

    四

 手桶《ておけ》を提げて井戸に通う路は、柿の落葉で埋まった日もあり、霜溶《しもどけ》のぐちゃぐちゃで下駄の鼻緒を切らした日もあり、夷講《えびすこう》の朝は初雪を踏んで通いました。奥様から頂いて穿《は》いた古|足袋《たび》の爪先も冷くなって、鼻の息も白く見えるようになれば、北向の日
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