と申しまして、それ芝居なぞでも能くやりますわなア――お鶴が西国巡礼に……」
「お前さんは何処《どこ》ですね」
「伊勢でござります」
「まあ、遠方ですねえ」
「わしらの方は皆こうして流しますでござります。御詠歌は西国三十三番の札所《ふだしょ》々々を読みましてなア」
「どっちの方から来たんですね」
「越後路《えちごじ》から長野の方へ出まして、諸方を廻って参りました。これから御寒くなりますで、暖い方へ参りますでござりますわい」
その時、爺さんが恍《とぼ》けた顔を出して、
「あんな乞食の歌を聞いて何にする」
と聞えよがしに笑いました。
「これはこれはどうも難有《ありがと》うござります。どうも奥様、御蔭様で助かりますでござります」
巡礼は泣き出した児を動揺《ゆすぶ》って、暮方の秋の空を眺《なが》め眺め行きました。
爺さんは奥様を笑いましたけれど、私はそうは思いませんので。熟々《しみじみ》奥様があの巡礼の口唇を見つめて美《い》い声に聞惚れた御様子から、根彫葉刻《ねほりはほり》御尋ねなすった御話の前後《あとさき》を考えれば、あんな落魄《おちぶれ》た女をすら、まだしもと御|羨《うらや》みなさる
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