さも面白そうに歩くのが癖でした。この人は東京の生ですから、新しい格子作を見る度《たび》に、都を想起《おもいだ》すと言っておりました。一体、東京から来る医者を見ると、いずれも役者のように風俗《みなり》を作っておりますが、さて男振《おとこぶり》の好《いい》という人も有ません。然し、この歯医者ばかりは、私も風采《ようす》が好と思いましたのです。
この人が来る時は、よく私に物を携《も》って来てくれました。この人が帰って去《い》った後で、爺さんは必《きっ》と白銅を一つ握っておりました。
或日、旦那様は銀行の御用で御泊掛《おとまりがけ》に上田まで御出ましでした。その晩は戸も早く閉めました。私も、さっさと台所を片付けたいと思い、鍋は伏せ、皿小鉢は仕舞い、物置の炭をかんかん割って出し、猫の足跡もそそくさと掃《ふ》いて、上草履《うわぞうり》を脱ぎまして、奥様の御部屋へ参りました。まだ宵の口から、奥様は御横におなりなすって、寝ながら小説本を御覧なさるところでした。誰を憚《はばか》るでもない気散じな御様子。あらわな御胸の白い乳房もすこし見えて、左の手はだらりと畳の上に垂れ、右の足は膝頭から折曲げ、投げだ
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