れもしない。母親に連れられて家《うち》を出たのは三月の二日でした――山家《やまが》ではこの日を山替《でがわり》としてあるのです。微《すこ》し風が吹いて土塵《つちぼこり》の起《た》つ日でしたから、乾燥《はしゃ》いだ砂交りの灰色な土を踏《ふん》で、小諸をさして出掛けました。母親は新しい手拭《てぬぐい》を冠《かぶ》って麻裏穿《あさうらばき》。私は萌黄《もえぎ》の地木綿の風呂敷包を提《さ》げて随いて参りましたのです。こうして親子連で歩くということが、何故かこの日に限って恥しいような悲しいような気がしました。浅々と青く萌初《もえそ》めた麦畠《むぎばたけ》の側を通りますと、丁度その畠の土と同じ顔色の農夫《ひゃくしょう》が鍬《くわ》を休めて、私共を仰山らしく眺《なが》めるのでした。北国街道は小諸へ入る広い一筋道。其処《そこ》まで来れば楽なものです。昔の宿場風の休茶屋には旅商人《たびあきんど》の群が居りました。「唐松《からまつ》」という名高い並木は伐《きり》倒される最中で、大木の横倒《よこたおし》になる音や、高い枝の裂ける響や、人足の騒ぐ声は戦闘《いくさ》のよう。私共は親子連の順礼と後《あと》になり前
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