つ》いて田野《のら》へ出ました。同じ年|恰好《かっこう》の娘は未だ鼻を垂して縄飛《なわとび》をして遊ぶ時分に、私はもう世の中の歓《うれ》しいも哀《かな》しいも解り始めましたのです。吾家《うち》では子供も殖《ふえ》る、小商売《こあきない》には手を焼く、父親《おやじ》は遊蕩《のらくら》で宛《あて》にもなりませんし、何程《なんぼ》男|勝《まさ》りでも母親の腕一つでは遣切《やりき》れませんから、否《いや》でも応でも私は口を預けることになりました。その頃下女の給金は衣裳《いしょう》此方《こちら》持《もち》の年に十八円位が頂上《とまり》です。然し、私は奥様のお古か何かで着せて頂いて、その外は相応な晴衣の御|宛行《あてがい》という約束《きめ》に願って出ました。
 金銭《おかね》で頂いたら、復《ま》た父親に呑まれはすまいか、という心配が母親の腹にありましたのです。
 出るにつけても、母親は独《ひとり》で気を揉《もん》で、「旦那《だんな》様というものは奥様次第でどうにでもなる、と言っては済まないが」から、「御奉公は奥様の御|機嫌《きげん》を取るのが第一だ」まで、縷々《さんざん》寝物語に聞かされました。忘
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