お尻を叩《たた》いて笑いながら、
「好《いい》御主人を持って御仕合《おしあわせ》」
と言捨て逃げる拍子に、泥濘《ぬかるみ》ヘ足を突込む、容易に下駄の歯が抜けない様子。「それ見たか」と私は指差をして、思うさま笑ってやりました。故《わざ》と、
「どうも実《まこと》に御気毒様」
井戸端に遊んでいた鶩《あひる》が四羽ばかり口嘴《くちばし》を揃《そろ》えて、私の方へ「ぐわアぐわア」と鳴いて来ました。忌々しいものです。私は柄杓《ひしゃく》で水を浴せ掛ると、鶩は恰《さ》も噂好《うわさずき》なお婆さん振《ぶっ》て、泥の中を蹣跚《よろよろ》しながら鳴いて逃げて行きました。
二
台所の戸に白い李《すもも》の花の匂うも僅《わずか》の間です。山家の春は短いもので、鮨《すし》よ田楽《でんがく》よ、やれそれと摺鉢《すりばち》を鳴しているうちに、若布売《わかめうり》の女の群が参るようになります。越後訛《えちごなまり》で、「若布はようござんすかねえ」と呼んで来る声を聞くと、もう春蚕《はるこ》で忙しい時になるのでした。
御承知の通、小諸は養蚕|地《どこ》ですから、寺の坊さんまでが衣の袖を捲《まく》り
前へ
次へ
全87ページ中16ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング