れましたのです。御一人で小諸を負《しょ》って御立ちなさる程の旦那様でも、奥様の心一つを御自由に成さることは出来ません。微々《ちいさ》な小諸の銀行を信州一と言われる位に盛大《おおき》くなすった程の御腕前は有ながら、奥様の為には一生の光栄《ほまれ》も塵埃《ごみくた》同様に捨てて御了いなすって、人の賛《ほ》めるのも羨《うら》やむのも悦《うれ》しいとは思召さないのでした。これが他の殿方ででもあったら、奥様の御髪《おぐし》を掻廻《つかみまわ》して、黒|縮緬《ちりめん》の御羽織も裂けるかと思う位に、打擲《ぶちたたき》もなさりかねない場合でしょう。並勝《なみすぐ》れて御人の好い旦那様ですから、どんな烈《はげ》しい御腹立の時でも、面と向っては他《ひと》にそれを言得ないのでした。旦那様は御自分の髪の毛を掻毟《かきむし》って、畳を蹴《け》って御出掛《おでまし》になりました。ぴしゃんと唐紙を御閉めなすった音には、思わず私もひょろひょろとなりましたのです。
私は御部屋へ取って返して、泣き伏した奥様をいろいろと言慰《いいなだ》めて見ましたが、御返事もなさいません。すこし遠慮して、勝手へ来て見れば、又たどうも気掛《きがかり》になって、御二人のことばかりが案じられました。
黄昏《ゆうがた》に、私は水汲をして手桶を提げながら門のところまで参りますと、四十|恰好《かっこう》の女が格子前《こうしさき》に立っておりました。姿を視れば巡礼です。赤い頭巾《ずきん》を冠せた乳呑児を負いまして、鼠色の脚絆《きゃはん》に草鞋穿《わらじばき》、それは旅疲《たびやつれ》のしたあわれな様子。奥様は泣|腫《はら》した御顔を御出しなすって、きょうの御祝の御余《おあまり》の白米や金銭《おかね》をこの女に施しておやりなさるところでした。奥様が巡礼を御覧なさる目付には言うに言われぬ愁《うれい》が籠っておりましたのです。
「私にその歌を、もう一度聞かしておくれ」
と奥様が優しく御尋ねなさると、巡礼は可笑《おかし》な土地|訛《なまり》で、
「歌でござりますか、ハイそうでござりますか」
寂しそうに笑って、やがて、鈴を振鳴して一節《ひとふし》唄いましたのは、こうでした。
ちちははのめぐみもふかきこかはでら
ほとけのちかきたのもしのみや
日に焼けた醜《まず》い顔の女では有りましたが、調子の女らしい、節の凄婉《あわれ》な、
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