なんだか俺は心細く成って来た。仕方が無いから、こうして坐って見てるんだ」
と高瀬は妻に話した。
その日の夕方のことであった、南の戸袋を打つ小石の音がした。誰か屋外《そと》から投げ込んでよこした。
「誰だ」
と高瀬は障子のところへ走って行って、濡縁の外へ出て見た。
「人の家へ石など放り込みやがって――誰だ――悪戯《いたずら》も好い加減にしろ――真実《ほんとう》に――」
忌々しそうに言いながら、落葉松《からまつ》の垣から屋外を覗《のぞ》いた。悪戯盛りの近所の小娘が、親でも泣かせそうな激しい眼付をして――そのくせ、飛んだ器量好しだが――横手の土塀の方へ隠れて行った。
「どうしてこの辺の娘は、こう荒いんだろう。男だか女だか解りゃしない」
こう高瀬は濡縁のところから、垣根越しに屋外に立っているお島に言った。
「大工さんの家の娘とはもう遊ばせないッて、先刻《さっき》誘いに来た時に断りましたら、今度は鞠ちゃんの方から出掛けて行きました……必《きっ》と喧嘩《けんか》でもしたんでしょう……石などを放って……女中でも子守でもこの辺の女は、そりゃ気が荒いんですよ……」
お島はどうすることも出来ないような調子で言って、夕方の空を眺めながら立っていた。暮色が迫って来た。
「鞠ちゃん、吾家《おうち》へお入り」と彼女はそこいらに出て遊んでいる子供を呼んだ。
「オバケ来るから、サ吾家にお出」と井戸の方から水を汲《く》んで来た下女も言葉を掛けて通った。
山家の娘らしく成って行く鞠子は、とは言え親達を泣かせるばかりでも無かった。夕飯後に、鞠子は人形を抱いて来て親達に見せた。そして、「お一つ、笑って御覧」などと言って、その人形をアヤして見せた。
「かァさん、かさん――やくらか、やくや――ほうちさ、やくやくう――おんこしゃこ――もこしゃこ――」
何処で教わるともなく、鞠子はこんなことを覚えて来て、眠る前に家中踊って歩いた。
五月の町裏らしい夜は次第に更《ふ》けて行った。お島の許《もと》へ手習に通って来る近所の娘達も、提灯《ちょうちん》をつけて帰って行った。四辺《あたり》には早く戸を閉めて寝る家も多い。沈まり返った屋外《そと》の方で、高瀬の家のものは誰の声とは一寸見当のつかない呼声を聞きつけた。
「高瀬君――」
「高瀬、居るか――」
声は垣根の外まで近づいて来た。
「ア」
と高瀬は聞耳を立てて、そこにマゴマゴして震えている妻の方へ行った。お島が庭口へ下りて戸を開けた時は、広岡学士と体操教師の二人が暗い屋外から舞い込むようにやって来た。
高瀬は洋燈《ランプ》を上《あが》り端《はな》のところへ運んだ。馬場裏を一つ驚かしてくれようと言ったような学士等の紅い磊落《らいらく》な顔がその灯に映った。二人とも脚絆《きゃはん》に草履掛という服装《なり》だ。
「これ、水でも進《あ》げナ」
と、高瀬が妻に吟附《いいつ》けた。
お島はやや安心して、勝手口のほうから水を持って来た。学士は身体の置き処も無いほど酔っていたが、でも平素の心を失うまいとする風で、朦朧《もうろう》とした眼を※[#「※」は「めへん+登」、251−2]《みは》って、そこに居る夫婦の顔や、洋燈に映るコップの水などをよく見ようとした。
学士のコップを取ろうとする手は震えた。お島はそれを学士の方へ押しすすめた。
「どうも失礼……今日は二人で山遊びに出掛けて……酩酊《めいてい》……奥さん、申訳がありません……」
学士は上り框のところへ手をついて、正直な、心の好さそうな調子で、詫《わ》びるように言った。
体操の教師は磊落に笑出した。学士の肩へ手を掛けて、助けて行こうという心づかいを見せたが、その人も大分上機嫌で居た。
よろよろした足許で、復た二人は舞うように出て行った。高瀬は屋外《そと》まで洋燈《ランプ》を持出して、暗い道を照らして見せたが、やがて家の中へ入って見ると、余計にシーンとした夜の寂寥《さびしさ》が残った。
何となく荒れて行くような屋根の下で、その晩遅く高瀬は枕に就いた。時々眼を開いて見ると、部屋の中まで入って来る饑《う》えた鼠の朦朧と、しかも黒い影が枕頭《まくらもと》に隠れたり顕れたりする。時には、自分の身体にまで上って来るような物凄《ものすご》い恐怖に襲われて、眼が覚めることが有った。深夜に、高瀬は妻を呼起して、二人で台所をゴトゴト言わせて、捕鼠器《ねずみとり》を仕掛けた。
その年の夏から秋へかけて、塾に取っては種々な不慮の出来事があった。広岡学士は荒町裏の家で三月あまりも大患《おおわずら》いをした。誰が見ても助かるまいと言った学士が危く一命を取留めた頃には、今度は正木大尉が倒れた。大尉は奥さんの手に子供衆を遺し、仕掛けた塾の仕事も半途で亡くなった。大尉の亡骸《なきがら》は士族地に葬られた。子供衆に遺して行った多くの和漢の書籍は、親戚の立会の上で、後仕末のために糴売《せりうり》に附せられた。
桜井先生の長い立派な鬚《ひげ》は目立って白くなった。毎日、高瀬は塾の方で、深い雪の積って行くような先生の鬚を眺めては、また家へ帰って来た。生命《いのち》拾いをした広岡学士がよくよく酒に懲《こ》りて、夏中奥さん任せにしてあった朝顔棚の鉢も片附け、種の仕分をする時分に成ると、高瀬の家の屋根へも、裏の畠へも、最早《もう》激しい霜が来た。凩《こがらし》も来た。土も、岩も、人の皮膚の色までも、灰色に見えて来た。日光そのものまで灰色に見える日があった。そのうちに思いがけない程の大雪がやって来た。戸を埋めた。北側の屋根には一尺ほども消えない雪が残った。鶏の声まで遠く聞えて、何となくすべてが引被《ひっかぶ》らせられたように成った。灰色の空を通じて日が南の障子へ来ると、雪は光を含んでギラギラ輝く。軒から垂れる雫《しずく》の音は、日がな一日単調な、侘《わび》しい響を伝えて来た。
冬籠《ふゆごも》りする高瀬は火鉢にかじりつき、お島は炬燵《こたつ》へ行って、そこで凍える子供の手足を暖めさせた。家の外に溶けた雪が復た積り、顕われた土が復た隠れ、日の光も遠く薄く射すように成れば、二人は子供等と一緒に半ば凍りつめた世界に居た。雲ともつかぬ水蒸気の群は細線の群合のごとく寒い空に懸った。剣のように北側の軒から垂下る長い光った氷柱《つらら》を眺めて、漸《やっと》の思で夫婦は復た年を越した。
更に寒い日が来た。北側の屋根や庭に降った雪は凍って、連日溶くべき気色《けしき》もない。氷柱は二尺、三尺に及ぶ。お島が炉辺《ろばた》へ行って子供に牛乳をくれようとすると、時にはそれが淡い緑色に凍って、子供に飲ませることも出来ない。台処の流許《ながしもと》に流れる水は皆な凍りついた。貯えた野菜までも多く凍った。水汲に行く下女なぞは頭巾《ずきん》を冠り、手袋をはめ、寒そうに手桶《ておけ》を提げて出て行くが、それが帰って来て見ると、手の皮膚は裂けて、ところどころ紅い血が流れた。こうなると、お島は外聞なぞは関っていられなく成った。どうかして子供を凍えさせまいとした。部屋部屋の柱が凍《し》み割れる音を聞きながら高瀬が読書でもする晩には、寒さが彼の骨までも滲《し》み徹《とお》った。お島はその側で、肌にあてて、子供を暖めた。
この長い長い寒い季節を縮こまって、あだかも土の中同様に住み暮すということは、一冬でも容易でなかった。高瀬は妻と共に春を待ち侘びた。
絶頂に達した山の上の寒さもいくらかゆるんで来た頃には、高瀬も漸《ようや》く虫のような眠から匍出《はいだ》して、復た周囲を見廻すようになった。その年の寒さには、塾でも生徒の中に一人の落伍者を出した。
遽《にわ》かに復活《いきかえ》るように暖い雨の降る日、泉は亡くなった青年の死を弔おうとして、わざわざ小県《ちいさがた》の方から汽車でやって来た。その青年は、高瀬も四年手掛けた生徒だ。泉と連立って、高瀬はその生徒の家の方へ歩いて行った。
赤坂という坂の町を下りようとする途中で、広岡学士も一緒に成った。
「なにしろ、十年来の寒さだった。我輩なぞはよく凍え死ななかったようなものだ。若い者だってこの寒さじゃ堪《たま》りませんナ」
と学士は言って、汚れた雪の上に降りそそぐ雨を眺め眺め歩いた。
漸く顕れかけた暗い土、黄ばんだ竹の林、まだ枯々とした柿、李《すもも》、その他三人の眼にある木立の幹も枝も皆な雨に濡れて、黒々と穢《きたな》い寝恍顔《ねぼけがお》をしていない者は無かった。
大きな洋傘《こうもり》をさしかけて、坂の下の方から話し話しやって来たのは、子安、日下部《くさかべ》の二人だった。塾の仲間は雨の中で一緒に成った。
有望な塾の生徒を、しかも十八歳で失ったということは、そこへ皆なの心を集めた。暮に兄の仕立屋へ障子張の手伝いに出掛け、それから急に床に就き、熱は肺から心臓に及び、三人の医者が立会で心臓の水を取った時は四合も出た。四十日ほど病んで死んだ。こう学士が立話をすると、土地から出て植物学を専攻した日下部は亡くなった生徒の幼少《ちいさ》い時のことなどを知っていて、十歳の頃から病身な母親の世話をして、朝は自分で飯を炊《た》き母の髪まで結って置いて、それから小学校へ行った……病中も、母親の見えるところに自分の床を敷かせてあった、と話した。
式は生徒の自宅であった。そこには桜井先生を始め、先生の奥さんも見えた。正木未亡人も部屋の片隅に坐って、頭を垂れていた。塾の同窓の生徒は狭い庭に傘をさしかけ、縁側に腰掛けなどしていた。
亡くなった青年が耶蘇《やそ》信者であったということを、高瀬はその日初めて知った。黒い布を掛け、青い十字架をつけ、牡丹《ぼたん》の造花を載せた棺の側には、桜井先生が司会者として立っていた。讃美歌《さんびか》が信徒側の人々によって歌われた。正木未亡人は宗教に心を寄せるように成って、先生の奥さんと一緒に讃美歌の本を開けていた。先生は哥林多《コリント》後書の第五章の一節を読んだ。亡くなった生徒の為に先生が弔いの言葉を述べた時は、年をとった母親が聖書を手にして泣いた。
士族地の墓地まで、しとしとと降る雨の中を高瀬は他の同僚と一諸に見送りに行った。松の多い静かな小山の上に遺骸《いがい》が埋められた。墓地では讃美歌が歌われた。そこの石塔の側、ここの松の下には、同級生などが佇立《たたず》んで、この光景《ありさま》を眺めていた。
ある日、薄い色の洋傘《こうもり》を手にしたような都会風の婦人が馬場裏の高瀬の家を訪ねて来た。この流行《はやり》の風俗をした婦人は東京から来たお島の友達だった。最早《もう》山の上でもすっかり雪が溶けて、春らしい温暖《あたたか》な日の光が青い苔《こけ》の生えた草屋根や、毎年大根を掛けて干す土壁のところに映《あた》っていた。
丁度、お島は手拭で髪を包んで、入口の庭の日あたりの好いところで余念なく張物をしていた。彼女の友達がそこへ来た時は、「これがお島さんか」という顔付をして、暫《しばら》く彼女を眺めたままで立っていた。
お島は急いで張物板を片附け、冠っていた手拭を取って、六年ばかりも逢えなかった旧《もと》の友達を迎えた。
「まあ、岡本さん――」
とその友達は、お島がまだ娘でいた頃の姓を可懐《なつか》しそうに呼んだ。
一汽車待つ間、話して、お島の友達は長野の方へ乗って行った。その日は日曜だった。高瀬は浅黄の股引《ももひき》に、尻端を折り、腰には手拭をぶらさげ、憂鬱な顔の中に眼ばかり光らせて、他《よそ》から帰って来た。お島は勝手口の方へ自慢の漬物を出しに行って来て、炉辺で夫に茶を進めながら、訪ねてくれた友達の話をして笑った。
「私が面白い風俗《ふう》をして張物をしていたもんですから、吃驚《びっくり》したような顔してましたよ……」
「そんなに皆な田舎者に成っちゃったかナア」
と高瀬も笑って、周囲を見廻した。煤《すす》けた壁のところには、歳暮《せいぼ》の景物に町の商家で出す暦附の板絵が去年のやその前の年のまで、子供の眼を悦ばせるために貼《はり》附けて
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