代からあった屏風《びょうぶ》も立ててある。その時、先生は近作の漢詩を取出して高瀬に見せた。中棚鉱泉の附近は例の別荘へ通う隠れた小径《こみち》から対岸の村落まで先生の近作に入っていた。その年に成るまで真実《ほんとう》に落着く場所も見当らなかったような先生の一生は、漢詩風の詞《ことば》で、その中に言い表してあった。
 その晩、高瀬は隣の屋敷の方へ行って、一時借りている部屋で、東京の友人に宛てた手紙を書いた。一間ほど隔てて寄宿する生徒等の何かゴトゴト言わせる音がする。まだ他に部屋を仕切って借りている人達もあると見え、一方の破れた襖《ふすま》の方からは貧しい話し声がボソボソボソボソ聞える。旅の行李の側に床を敷いてからも、場所の違ったのと、鼠の騒ぐのとで、高瀬はよく寝就かれなかった。彼の心はまだ半ば東京の方にあった。自分のために心配していてくれる人達のことなどが、夜遅くまで、彼の胸を往来した。

 朝早く高瀬は屋外《そと》に出て山を望んだ。遠い山々にはまだ白雪の残ったところも有ったが、浅間あたりは最早すっかり溶けて、牙歯《きば》のような山続きから、陰影の多い谷々、高い崩壊の跡などまで顕われていた。朝の光を帯びた、淡い煙のような雲も山巓《いただき》のところに浮んでいた。都会から疲れて来た高瀬には、山そのものが先ず活気と刺激とを与えてくれた。彼は清い鋭い山の空気を饑《う》えた肺の底までも呼吸した。
 塾で新学年の稽古《けいこ》が始まる日には、高瀬は知らない人達に逢うという心を持って、庭伝いに桜井先生を誘いに行った。早起の先生は時間を待ち切れないで疾《とっ》くに家を出た。裏庭には奥さんだけ居て、主婦らしく畠を見廻っていた。
「でも、高瀬さん、田舎ですね。後の方にある桑畠まで皆なこの屋敷に附いてるんですよ――」
 と奥さんは言って聞かせた。
 草の芽が見える花畠の間を通って、高瀬は裏木戸から桑畠の小径へ出た。その浅く狭い谷一つ隔てた岡の上が、直ぐ塾の庭だ。樹木の間から白壁だの教室の窓などが見えるところだ。高瀬は谷を廻って、いくらか勾配《こうばい》のある耕地のところで先生と一緒に成った。
「ここへは燕麦《からすむぎ》を作って見ました。私共の畠は学校の小使が作ってます」
 先生はその石の多い耕地を指して見せた。
 塾の庭へ出ると、桜の若樹が低い土手の上にも教室の周囲《まわり》にもあった。ふくらんだ蕾《つぼみ》を持った、紅味のある枝へは、手が届く。表門の柵《さく》のところはアカシヤが植えてあって、その辺には小使の音吉が腰を曲《かが》めながら、庭を掃《は》いていた。一里も二里もあるところから通うという近在の生徒などは草鞋穿《わらじばき》でやって来た。
 まだ時が早くて、高瀬は先生の室を見る暇があった。教室の上にある二階の角《すみ》が先生のデスクや洋風の書架の置並べてあるところだ。亜米利加《アメリカ》に居た頃の楽しい時代でも思出したように、先生はその書架を背《うしろ》にして自分でも腰掛け、高瀬にも腰掛けさせた。
「好い書斎ですネ」
 と高瀬は言って見て、窓の方へ行った。蓼科《たでしな》の山つづきから遠い南|佐久《さく》の奥の高原地がそこから望まれた。近くには士族地の一部の草屋根が見え、ところどころに柳の梢の薄く青みがかったのもある。遅い春が漸《ようや》く山の上へ近づいて来た。
「高瀬さん、これを一つ君に呈しましょう」
 と言って先生が書架から取出したのは、古い皮表紙の小形の洋書だ。先生は鼻眼鏡を隆《たか》い鼻のところに宛行《あてが》って、過ぎ去った自分の生活の香気《におい》を嗅《か》ぐようにその古い洋書を繰りひろげて見て、それから高瀬にくれた。
 正木大尉は幹事室の方に見えた。先生と高瀬と一緒にその室へ行った時は、大尉は隅《すみ》のところに大きな机を控えていた。高瀬は、大尉とは既に近づきに成っていた。
「正木先生は大分漢書を集めて被入《いら》っしゃいます――法帖《ほうじょう》の好いのなども沢山持って被入《いら》っしゃる」と先生は高瀬に言った。「何かまた貴方《あなた》も借りて御覧なすったら可いでしょう」
「ええ、まあボツボツ集めてます……なんにも子供に遺《のこ》して置く物もありませんから、せめて書籍《ほん》でも遺そうと思いまして……」
 大尉は黒い袴《はかま》の中へ両手を差入れながら笑った。
 その日、高瀬は始めて広岡理学士に紹介された。上田町から汽車で通って来るという。高瀬から見れば親と子ほども年の違った学者だ。
「高瀬さんは三年という御約束で、私共の塾へ来て下さいました」
 先生は今度雇い入れた新教員のことを学士に話した。
 初めての授業を終って、復た高瀬がこの二階へ引返して来る頃は、丁度二番の下り汽車が東京の方から着いた。盛んな蒸汽の音が塾の直ぐ前で起った。年のいかない生徒等は門の外へ出て、いずれも線路|側《わき》の柵に取附き、通り過ぎる列車を見ようとした。
「どうも汽車の音が喧《やかま》しくて仕様が有りません。授業中にあいつをやられようものなら、硝子《ガラス》へ響いて、稽古も出来ない位です」
 大尉は一寸高瀬の側へ来て、言って、一緒に停車場の方へ向いた窓から見下した。大急ぎで駈出《かけだ》して行く広岡理学士の姿が見えた。学士は風呂敷包から古い杖まで忘れずに持って、上田行の汽車に乗り後《おく》れまいとした。
 これと擦違《すれちが》いに越後《えちご》の方からやって来た上り汽車がやがて汽笛の音を残して、東京を指して行って了った頃は、高瀬も塾の庭を帰って行った。周囲《あたり》にはあたかも船が出た後の港の静かさが有った。塾の庭にある桜は濃い淡い樹の影を地に落していた。谷づたいに高瀬は独《ひと》り桑畠の間を帰りながら、都会から遁《のが》れて来た自分の身を考えた。彼が近い身の辺《ほとり》にあった見せかけの生活から――甲斐《かい》も無い反抗と心労とから――その他あらゆるものから遁《のが》れて来た自分の身を考えた。もっと自分を新鮮に、そして簡素にすることは無いか。そのために、彼は他にもあった教師の口を断り、すこし土でも掘って見ようと思って、わざわざこの寂しい田舎へ入って来た。

「高瀬さん、一体|貴方《あなた》はお幾つなんですか――」
 桜井先生の奥さんは庭づたいに隣の家の方から廻って来た高瀬に尋ねた。奥さんは縁側のところに出て、子供に鶏を見せていた。
 高瀬は庭に立ちながら、「二十八です」と答えた。
「まだお若いんですねえ」
「そう言えば、奥さんはお幾つです。女の方の年齢《とし》というものは、よく分らないものですネ」
「私ですか――貴方《あなた》より二つ上――」
 奥さんは聞かなくても可いことを鑿《ほ》って聞いたという顔付で、やや皮肉に笑って、復た子供と一緒に鶏の方を見た。淡黄な色の雛《ひな》は幾羽となく母鶏《おやどり》の羽翅《はがい》に隠れた。
 先生が庭を廻って来た。町の方に見つけた借家へ案内しよう、という先生に随いて、高瀬はやがてこの屋敷を出た。
 城門前の石碑のあるあたりから、鉄道の線路を越え、二人は砂まじりの窪《くぼ》い道を歩いて行った。並んだ石垣と桑畠との見える小高い耕地の上の方には大手門の残ったのが裏側から望まれた。先生はその高い瓦屋根を高瀬に指して見せた。初めて先生が小諸へ移って来た時は、その太い格子《こうし》の嵌《はま》った窓と重い扉のある城門の楼上が先生の仮の住居《すまい》であったという話をして聞かせた――丁度、先生はお伽話《とぎばなし》でもして聞かせるように。
 坂道を上ると、大手の跡へ出る。士族地の方へ行く細い流がその辺の町の間を流れて来ている。二人は広岡理学士の噂《うわさ》などをしながら歩いた。
 先生は思いやるように、
「広岡さんも今、上田で数学の塾を開いてますが、余程の逆境でしょう……まあ、私共も先生に同情して、いくらかの時間を助《す》けに来て頂くことにしたんです……それに、君、吾々の塾も中学の設備をして、認可でも受けようというには、肩書のある人が居ないと一寸《ちょっと》これで都合が悪いからネ」
 高瀬も笑った。
 細い流について行ったところに、本町の裏手に続いた一区域がある。落葉松《からまつ》の垣で囲われた草葺《くさぶき》屋根の家が先生の高瀬を連れて行って見せたところだ。近くまで汁粉屋が借りていたとかで、古い穴のあいた襖、煤《すす》けた壁、汚れた障子などが眼につく。炬燵《こたつ》を切ったあたりは畳も焼け焦げて、紙を貼《は》り着けてある。住み荒した跡だ。
「まあ、こんなものでしょう」
 と先生は高瀬に言って、一緒に奥の方まで見て廻った。
「一寸、今、他に貸すような家も見当りません……妙なもので、これで壁でも張って、畳でも入替えて御覧なさい、どうにか住めるように成るもんですよ」
 と復た先生が言った。
 同じ士族屋敷風の建物でも、これはいくらか後で出来たものらしく、蚕の種紙をあきなう町の商人の所有《もちもの》に成っていた。高瀬はすこしばかりの畠の地所を附けてここを借りることにした。
 小使いの音吉が来て三尺四方ばかりの炉を新規に築《つ》き上げてくれた頃、高瀬は先生の隣屋敷の方からここへ移った。
 家の裏には別に細い流があって、石の間を落ちている。山の方から来る荒い冷い性質の水だ。飲料には用いられないが、砂でも流れない時は顔を洗うに好い。そこにも高瀬は生《き》のままの刺激を見つけた。この粗末ながらも新しい住居で、高瀬は婚約のあった人を迎える仕度をした。月の末に、彼は結婚した。

 長く東京で年月を送って来た高瀬には、塾の周囲《まわり》だけでも眼に映るものが多かった。庭にある桜の花は開いて見ると八重で、花束のように密集《かたま》ったやつが教室の窓に近く咲き乱れた。濃い花の影は休みの時間に散歩する教師等の顔にも映り、建物の白い壁にも映った。学生等は幹に隠れ、枝につかまり、まるで小鳥かなんどのようにその下を遊び廻って戯れた。
「広岡先生も随分|関《かま》わない人ですネ」
 と高瀬が桜井先生と正木大尉との居る前で言うと、大尉は笑って、
「関わないんじゃなくて、関えないんでしょう……」
 と言った。そういう大尉は着物から羽織まで惜げもなく筒袖にして、塾のために働こうという意気込を示していた。
 この半ば家庭のような学校から、高瀬は自分の家の方へ帰って行くと、頼んで置いた鍬《くわ》が届いていた。塾で体操の教師をしている小山が届けてくれた。小山の家は町の鍛冶《かじ》屋だ。チョン髷《まげ》を結った阿爺《おとっ》さんが鍛《う》ってくれたのだ。高瀬はその鉄の目方の可成《かなり》あるガッシリとした柄のついた鍬を提げて、家の裏に借りて置いた畠の方へ行った。
 不思議な風体《ふうてい》の百姓が出来上った。高瀬は頬冠《ほおかぶ》り、尻端折《しりはしょ》りで、股引《ももひき》も穿いていない。それに素足だ。柵《さく》の外を行く人はクスクス笑って通った。とは言え高瀬は関わず働き始めた。掘起した土の中からは、どうかすると可憐《かれん》な穎割葉《かいわれば》が李《すもも》の種について出て来る。彼は地から直接《じか》に身体へ伝わる言い難い快感を覚えた。時には畠の土を取って、それを自分の脚《あし》の弱い皮膚に擦《こす》り着けた。
 塾の小使も高瀬には先生だった。音吉は見廻りに来て、鍬の持ち方から教えた。
 毎日のように高瀬は塾の受持の時間を済まして置いて、家へ帰ればこの畠へ出た。ある日、音吉が馬鈴薯《じゃがいも》の種を籠《かご》に入れて持って来て見ると、漸く高瀬は畠の地ならしを済ましたところだった。彼の妻――お島はまだ新婚して間もない髪を手拭で包み、紅い色の腰巻などを見せ、土掘りの手伝いには似合わない都会風な風俗《なり》で、土のついた雑草の根だの石塊《いしころ》などを運んでいた。
「奥さん、御精が出ますネ」
 と音吉は笑いながら声を掛けて、高瀬の掘起した畠を見た。サクの切り方が浅かった。音吉は高瀬から鍬を受取って、もっと深く切って見せた。
「この辺は、まるで焼
前へ 次へ
全7ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング