ぼけがお》をしていない者は無かった。
大きな洋傘《こうもり》をさしかけて、坂の下の方から話し話しやって来たのは、子安、日下部《くさかべ》の二人だった。塾の仲間は雨の中で一緒に成った。
有望な塾の生徒を、しかも十八歳で失ったということは、そこへ皆なの心を集めた。暮に兄の仕立屋へ障子張の手伝いに出掛け、それから急に床に就き、熱は肺から心臓に及び、三人の医者が立会で心臓の水を取った時は四合も出た。四十日ほど病んで死んだ。こう学士が立話をすると、土地から出て植物学を専攻した日下部は亡くなった生徒の幼少《ちいさ》い時のことなどを知っていて、十歳の頃から病身な母親の世話をして、朝は自分で飯を炊《た》き母の髪まで結って置いて、それから小学校へ行った……病中も、母親の見えるところに自分の床を敷かせてあった、と話した。
式は生徒の自宅であった。そこには桜井先生を始め、先生の奥さんも見えた。正木未亡人も部屋の片隅に坐って、頭を垂れていた。塾の同窓の生徒は狭い庭に傘をさしかけ、縁側に腰掛けなどしていた。
亡くなった青年が耶蘇《やそ》信者であったということを、高瀬はその日初めて知った。黒い布を掛け、青
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