好《ぶかっこう》な枝は、その年も若葉を着けた。微かな甘い香がプンと彼の鼻へ来た。彼は縁側に凭《もた》れて、五月の日のあたった林檎の花や葉を見ていたが、妻のお島がそこへ来て何気なく立った時は、彼は半病人のような、逆上《のぼ》せた眼付をしていた。
「なんだか、俺は――気でも狂《ちが》いそうだ」
 と串談《じょうだん》らしく高瀬が言うと、お島は縁側から空を眺めて、
「髪でも刈って被入《いら》っしたら」
 と軽い返事をした。
 急に大きな蜜蜂《みつばち》がブーンという羽の音をさせて、部屋の中へ舞い込んで来た。お島は急いで昼寝をしている子供の方へ行った。庭の方から入って来た蜂は表の方へ通り抜けた。
「鞠《まあ》ちゃんはどうしたろう」と高瀬がこの家で生れた姉娘のことを聞いた。
「屋外《そと》で遊んでます」
「また大工さんの家の娘と遊んでいるじゃないか。あの娘は実に驚いちゃった。あんな荒い子供と遊ばせちゃ困るナア」
「私もそう思うんですけれど、泣かせられるくせに遊びたがる」
「今度誘いに来たら、断っちまえ。――吾家《うち》へ入れないようにしろ――真実《ほんと》に、串談《じょうだん》じゃ無いぜ」
 夫
前へ 次へ
全62ページ中47ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング