。朝の光を帯びた、淡い煙のような雲も山巓《いただき》のところに浮んでいた。都会から疲れて来た高瀬には、山そのものが先ず活気と刺激とを与えてくれた。彼は清い鋭い山の空気を饑《う》えた肺の底までも呼吸した。
塾で新学年の稽古《けいこ》が始まる日には、高瀬は知らない人達に逢うという心を持って、庭伝いに桜井先生を誘いに行った。早起の先生は時間を待ち切れないで疾《とっ》くに家を出た。裏庭には奥さんだけ居て、主婦らしく畠を見廻っていた。
「でも、高瀬さん、田舎ですね。後の方にある桑畠まで皆なこの屋敷に附いてるんですよ――」
と奥さんは言って聞かせた。
草の芽が見える花畠の間を通って、高瀬は裏木戸から桑畠の小径へ出た。その浅く狭い谷一つ隔てた岡の上が、直ぐ塾の庭だ。樹木の間から白壁だの教室の窓などが見えるところだ。高瀬は谷を廻って、いくらか勾配《こうばい》のある耕地のところで先生と一緒に成った。
「ここへは燕麦《からすむぎ》を作って見ました。私共の畠は学校の小使が作ってます」
先生はその石の多い耕地を指して見せた。
塾の庭へ出ると、桜の若樹が低い土手の上にも教室の周囲《まわり》にもあった。
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