族地に葬られた。子供衆に遺して行った多くの和漢の書籍は、親戚の立会の上で、後仕末のために糴売《せりうり》に附せられた。
桜井先生の長い立派な鬚《ひげ》は目立って白くなった。毎日、高瀬は塾の方で、深い雪の積って行くような先生の鬚を眺めては、また家へ帰って来た。生命《いのち》拾いをした広岡学士がよくよく酒に懲《こ》りて、夏中奥さん任せにしてあった朝顔棚の鉢も片附け、種の仕分をする時分に成ると、高瀬の家の屋根へも、裏の畠へも、最早《もう》激しい霜が来た。凩《こがらし》も来た。土も、岩も、人の皮膚の色までも、灰色に見えて来た。日光そのものまで灰色に見える日があった。そのうちに思いがけない程の大雪がやって来た。戸を埋めた。北側の屋根には一尺ほども消えない雪が残った。鶏の声まで遠く聞えて、何となくすべてが引被《ひっかぶ》らせられたように成った。灰色の空を通じて日が南の障子へ来ると、雪は光を含んでギラギラ輝く。軒から垂れる雫《しずく》の音は、日がな一日単調な、侘《わび》しい響を伝えて来た。
冬籠《ふゆごも》りする高瀬は火鉢にかじりつき、お島は炬燵《こたつ》へ行って、そこで凍える子供の手足を暖めさせた。家の外に溶けた雪が復た積り、顕われた土が復た隠れ、日の光も遠く薄く射すように成れば、二人は子供等と一緒に半ば凍りつめた世界に居た。雲ともつかぬ水蒸気の群は細線の群合のごとく寒い空に懸った。剣のように北側の軒から垂下る長い光った氷柱《つらら》を眺めて、漸《やっと》の思で夫婦は復た年を越した。
更に寒い日が来た。北側の屋根や庭に降った雪は凍って、連日溶くべき気色《けしき》もない。氷柱は二尺、三尺に及ぶ。お島が炉辺《ろばた》へ行って子供に牛乳をくれようとすると、時にはそれが淡い緑色に凍って、子供に飲ませることも出来ない。台処の流許《ながしもと》に流れる水は皆な凍りついた。貯えた野菜までも多く凍った。水汲に行く下女なぞは頭巾《ずきん》を冠り、手袋をはめ、寒そうに手桶《ておけ》を提げて出て行くが、それが帰って来て見ると、手の皮膚は裂けて、ところどころ紅い血が流れた。こうなると、お島は外聞なぞは関っていられなく成った。どうかして子供を凍えさせまいとした。部屋部屋の柱が凍《し》み割れる音を聞きながら高瀬が読書でもする晩には、寒さが彼の骨までも滲《し》み徹《とお》った。お島はその側で、肌にあて
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