と僅《わず》か離れたところを択《えら》んだ。子供等の墓は間《あい》を置いて三つ並んだ。境内は樹木も多く、娘達のことを思出しに行くに好いような場処であった。葬式の後、家内は姪を連れてそこへ通うのをせめてもの心やりとした。
 子供の亡くなったことに就いて、私は方々から手紙を貰った。殊に同じ経験があると言って、長く長く書いて寄《よこ》してくれた雑誌記者があった。君とは久しく往来も絶えて了ったが、その手紙を読んで、何故に君が今の住居《すまい》の不便をも忍ぶか、ということを知った。君は子供の墓地に近く住むことを唯一の慰藉《なぐさめ》としている。
 不思議にも、私の足は娘達の墓の方へ向かなく成った。お繁の亡くなった頃は、私もよく行き行きして、墓畔《ぼはん》の詩趣をさえ見つけたものだが、一人死に、二人死にするうちに、妙に私は墓参りが苦しく可懼《おそろ》しく成って来た。
「父さんは薄情だ――子供の墓へお参りもしないで」
 よく家のものはそれを言った。
 私も行く気が無いではなかった。幾度《いくたび》か長光寺の傍《そば》まで行きかけては見るが、何時でも止して戻って来た。何となく私は眩暈《めまい》して、そ
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