と言って、壁に懸けてある黒板の方を指して見せた。猶《なお》、埋葬の日を知らせよなどと言ってくれた。
 看護婦や附添の女にも別れて、私はショウルに包んだお房の死体を抱きながら、車に乗った。他のものも車で後《あと》になり前《さき》になりして出掛けた。本郷から大久保まで乗る長い道の間、私達は皆な疲労《つかれ》が出て、車の上で居眠を仕続けて行った。
 お菊と違って、姉の方は友達が多かった。私達が大久保へ入った頃は、到る処に咲いている百日紅《さるすべり》のかげなぞで、お房と同年位の短い着物を着た、よく一緒に遊んだ娘達にも逢った。ガッカリして私達は自分の家に帰った。
「貴方は男だから可《よ》う御座んすが、こちらの叔母さんが可哀そうです」
 弔いに来る人も、来る人も、皆な同じようなことを言ってくれた。留守を頼んで置いた甥《おい》はまた私の顔を眺めて、
「私も家のやつに子供でも有ったら、よくそんなことを考えますが、しかし叔父さんや叔母さんの苦むところを見ると、無い方が可いかとも思いますね」
 と言っていた。
 こうして復た私の家では葬式を出すことに成った。お房のためには、長光寺の墓地の都合で、二人の妹
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