私達は耳を澄ましながら、子供の呼吸を聞いて見た。
急に皆川医学士が看護婦を随えて入って来た。学士は洋服の隠袖《かくし》から反射機を取出して、それでお房の目を照らして見た。何を見るともなしにその目はグルグル廻って、そして血走った苦痛の色を帯びていた。学士は深い溜息《ためいき》を吐《つ》いて、やがて出て行って了った。
夢のように窓が白んだ。猛烈な呼吸と呻声《うめき》とが私達の耳を打った。附添の女は走って氷を探しに行った。お房の気息《いき》は引いて行く「生」の潮《うしお》のように聞えた。最早《もう》声らしい声も出なかったから、せめて最後に聞くかと思えば、呻声《うめき》でも私達には嬉しかった。死は一刻々々に迫った。私達の眼前《めのまえ》にあったものは、半ば閉じた眼――尖った鼻――力のない口――蒼ざめて石のように冷くなった頬――呻声も呼吸も終《しまい》に聞えなかった。
数時間経って、お房が入院中世話に成った礼を述べ、又、別れを告げようと思って、私は医局へ行った。その時、大きなテエブルを取囲《とりま》いた学士達から手厚い弔辞《くやみ》を受けた。濃情な皆川医学士は、お房のために和歌を一首作った
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