て来た。看護婦だの、身内のものだのが取囲《とりま》いている寝台の側に立って、皆川医学士はその学生らしい人にお房の病状を説明して聞かせた。そして、子供の足を撫《な》でたり、腹部を指して見せたりした。学生らしい人は又、こういう時に経験して置こうという風で、学士の説明に耳を傾けていた。学士達の中には、まだ年も若く、ここへ来たばかりで、冷静に成ろう成ろうと勉めているような人もあった。
 病院へ来て二週間目にあたるという晩には、お房は最早《もう》耳もよく聴えなかった。唯、物を言いたそうにする口――下唇を突出すようにして、息づかいをする口だけ残った。過度の疲労と、睡眠の不足とで、私達は半分眠りながら看護した。夜の二時半頃、私は交代で起きて、附添の女や家内を休ませたが、二人は横に成ったかと思うと直に死んだように成って了った。どうかすると、私も病人の寝台に身体を持たせ掛けたまま、まるで無感覚の状態《ありさま》に居ることもあった。
 翌朝《よくあさ》に成って、附添の女は私達の為に賄《まかない》の膳を運んで来た。
「オイ、その膳をここへ持って来てくれ」と私は家内に言付けた。
「子供が死んで、親ばかり残るん
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