中で、下口唇を突出すようにして、苦しそうな息づかいをした。胸が痛み、頭が痛むと言って、母に叩《たた》かせたが、もっと元気に叩いてくれなどと言って、どうかすると掛けてあるショウルを撥飛《はねとば》した。
 日の出が待遠しかった。私は窓のところへ行って見た。庭はまだ薄暗く、木立の下あたりは殊《こと》に暗かったが、やがて青白い光が朝の空に映り始めた。梢《こずえ》に風のあることが分って来た。テニスの網も白く分って来た。この静かな庭の方へ、丁度私達の居る病室と並行に突出した建築物《たてもの》があって、その石階《いしだん》の鉄の欄《てすり》までも分って来た。赤く寂しい電燈が向うの病室の廊下にも見える。顔を洗いに行く人も見える。お菊の亡くなる時に世話をしてくれた若い看護婦も通る。
「母さん――母さん――馬鹿、馬鹿――」
 と復たお房が始めた。「母さん、あのねえ……」などと言いかけるかと思うと消えて了う。
 上野の鐘は不忍の池に響いて聞えた。朝だ。ホッと私達は溜息《ためいき》を吐《つ》いた。
 小児科のことで、隣の広い室には多勢子供の患者が居た。そこには全治する見込の無いものでも世話するとかで、死後は
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