ることを説いた。他の医者が腸の悪い子供に禁物だというようなものでも、すべて好いとした。牛乳のかわりに味噌汁、粥《かゆ》のかわりに餅《もち》、ソップのかわりに沢庵《たくあん》の香の物……それから、この慷慨《こうがい》な老人は、私達が日本固有の菜食を重んじない為に、それで子供がこう弱くなると言って、今日の医学、今日の衛生法、今日の子供の育て方を嘲《あざけ》った。私は娘を連れて、スゴスゴ医者の前を引下った。煎《せん》じ薬を四日分ばかりと、菜食の歌を貰って、大久保へ帰った。
何となくお房の身体には異状が起って来た。種々な医者に見せ、種々な薬を服ませたが、どうしても熱は除《と》れなかった。時とすると、お房の身体は燃えるように熱かった。で、私も決心して、復た皆川医学士の手を煩《わずら》わしたいと思った。月の末に、学士の勧めに随って、私はお房を大学の小児科へ入院させることにした。
「母さん、前髪を束《と》って頂戴な」
熱のある身体にもこんなことを願って、お房は母に連れられて行った。私も、姪に留守居をさせて、別に電車で病院の方へ行って見た。病室は静かな岡の上にあった。そこは、三つばかりある高い玻璃
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